社会科学研究科(社会経済システム専攻)

鞠 亜琴

鞠 亜琴 中国出身

○2011.10~2012.3 研究生
○2012.4~2014.3 社会科学研究科博士課程前期
○2014.4~ 社会科学研究科博士課程後期

1. 今の専門分野(社会経済システム)を選んだ理由は何ですか?

中国の大学で4年間英語を専門として学びました。その際、言語の勉強だけではなく、私たちの日常生活と密接にかかわっている経済に関する知識に対して非常に興味がわいたので、副専攻として、経済を選びました。

私の故郷は中国沿岸都市です。そこでは外資系の企業が多く、特に日本企業が多数進出しています。今まで身に付けた言語能力や経済に関する専門知識をさらに活かしながら、別の外国語を勉強し、将来アジア地域で活躍できるグローバル人材になるために、日本への留学を決意しました。

2. 研究内容について教えてください。

1990年代初頭にそれまでの資産価格バブルが崩壊し、日本経済は長期の景気低迷に陥りました。この間、日本銀行は政策金利を下げ、ついには1999年にゼロ金利政策を採用しました。しかし、日本経済はバブルの崩壊に起因する深刻な景気後退とデフレから脱却することができませんでした。2001年3月に、日本銀行は量的な緩和政策を導入し、操作目標をコール・レートから日本銀行当座預金残高に変更しました。

私は、この「失われた20年」に掛ける金融政策の役割やその後の量的緩和政策の効果について強い興味を持っていました。修士論文では、VARモデルを用いた金融政策を分析、とりわけBernanke-Mihov の識別条件を用いた実証分析を展開しています。様々な金融変数をVARに追加することによって波及経路を検討しました。このことから、2001年から2006年にわたって日本において実施された量的緩和政策が株価経路を通じて経済を活性化したという実証結果を得ました。今後は、日銀の超金融緩和政策とそこから何かを考察していきたいと思っています。

鞠 亜琴

3. 実際に日本に来て、授業を受けてみてどうでしたか?また先生の指導はどのような感じですか?

英語は専門に学んでいたので、自信がありましたが、日本語は自信がありませんでした。そのため、日本に来たばかり頃には、とても緊張しました。初めての授業では先生の言っていることがほとんど分からなくて、とても苦労しました。授業の予習をしたり、復習をしたり、暇があれば、留学生向けの日本語・日本事情の授業を受けたりして、努力しました。また、先生もすごく優しくて、いつも留学生であることを配慮してくださり、授業もできるだけわかりやすくしてくださいました。

※日本語・日本事情の授業・・・広島大学で学んでいる国費・私費留学生(研究生、大学院生及び客員研究員を含む)を支援するための授業。

4. 研究室の雰囲気はどのような感じですか?

広島大学の院生研究室は合理的に配置されています。研究生の一年間とM1のときには、10人くらいが使用できる大きな研究室を利用しました。そこでは私のように日本に来たばかりの研究生が何人いました。広島大学でどのように勉強し、生活すればいいのかあまりわからなかったですし、大学院の入試試験をひかえて、緊張もしていました。しかし、同じ研究室を利用しているみんなで団結して一緒に乗り越えることができました。また同じ研究室の先輩からも様々なアドバイスをもらうことができ、とても役立ちました。

M2になると、修士論文を専念して書けるように、4人用の少し小さめの研究室に移りました。静かで、すぐに落ち着いて本を読んだり、論文を書いたりすることができる空間でした。

鞠 亜琴

5. 将来の目標について聞かせてください。どのような仕事に就きたいですか?

これまで、「日本マクロ金融政策の時系列分析」を主に研究していました。これからの博士課程で、アメリカ、イギリスといった先進国の超緩和金融政策の効果についても研究していくつもりです。その後、自分の外国語能力や経済に関する知識を活かして、大学教員として働きたいと思っています。

 


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