第16回 上 真一 教授(大学院生物圏科学研究科)

豊かな「里海」を耕していこう。エチゼンクラゲが伝える海からのメッセージ

上真一教授

理事・副学長(教育担当)
大学院生物圏科学研究科 環境循環系制御学専攻 教授 上 真一(うえ しんいち)教授 (本頁では、呼称を教授に統一しました)

に聞きました。 (2009.6.12 社会連携・情報政策室 広報グループ)

 

上真一教授が、2010年度日本海洋学会賞を受賞することが決定しました。
上教授の「沿岸海洋生態系における動物プランクトンの機能的役割に関する研究」が高く評価されての受賞です。
授賞式は、平成22年3月28日(日)に東京海洋大学で開催される日本海洋学会春季大会総会後に行われ、式後には同大学において受賞記念講演を行う予定です(2010.3.17)。
 

「ミズクラゲ」の嫌がる物質を、生物圏科学研究科の上真一教授と東京海洋大学の石井晴人助教らの研究チームが特定しました。石垣島産の海藻・マクリの抽出物質にはクラゲの幼生が付着せず、ポリプを死滅させる効果があることを確認しました。今年度から東京湾などで実証実験を始める予定です(2010.5.14)。

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研究の概要

ここ数年、日本海で異常な大発生を繰り返し深刻な漁業被害をもたらしてきたエチゼンクラゲの研究を進め、世界で初めてエチゼンクラゲの人工繁殖に成功。謎に包まれた生態を少しずつ解き明かしてきました。現在、農林水産省の農林水産技術会議の委託で、広島大学が中核となり、全国11機関が参加するオールジャパン体制でクラゲ対策プロジェクトを進めています。そのプロジェクトリーダーとして、ミズクラゲやエチゼンクラゲの発生予測や制御に向けた新技術開発に取り組んでいます。

 

健全な海を守るため、“敵”をよく知る

元々、海をより豊かにするため、漁業資源(魚)の餌になる動物プランクトンの生活史や生態などの研究をしていました。

1988年に広島大学生物生産学部のキャンパスが福山市から東広島市に移転し、プランクトンの採取ポイントを広島湾や呉湾に変えました。しかし、採取したプランクトンはクラゲの粘液にからまっていてすぐに死んでしまいます。これでは研究になりません。

ちょうどそのころ、漁師さんたちから「海が変わった。クラゲが増えて魚が捕れない」という話を聞くようになりました。

当時、クラゲをまともに研究している人は少なく、クラゲの生態は謎につつまれていました。海洋学者、水産研究者として、漁業者のためにもその“空白ポイント”を研究し解決していかなくてはならないと考え、クラゲの研究に取り組みはじめました。

 

足で稼いだ「瀬戸内海の変化の実感」

本当に瀬戸内海は変わったのか。まずは瀬戸内海全域を回り、漁港や漁家を訪ねて漁業者からクラゲに関するアンケート調査を実施しました。その結果、漁獲量の減少、ミズクラゲによる漁業被害の増加など、海で仕事をする人々ならではの声を1200件あまり集めることができました。

ミズクラゲの増加をもたらした原因として、温暖化、富栄養化、乱獲や藻場・干潟が減り続けたことによる魚類資源の減少、コンクリート護岸などの人工構造物の増加などが推定されるとレポートしました。これらはいずれも人間活動に基づくものです。

2002年、日本海でエチゼンクラゲが大発生し、数10億円と言われる漁業被害が出ました。エチゼンクラゲはこれまでも約40年に1度の頻度で大発生をしてきた記録がありました。このとき上先生は「これから毎年会えるかもしれない」とピンときたそうです。

瀬戸内海は陸に囲まれた内海ですが、エチゼンクラゲが分布する黄海・東シナ海・日本海も東アジアの陸に囲まれた海です。人間活動の盛んな瀬戸内海でミズクラゲの増加が起こったように、中国沿岸での人間活動の高まりを考えれば、黄海・東シナ海・日本海でエチゼンクラゲの増加が起こってもおかしくありません。これからは大発生が続くのではないかとの予感がありました。その予感は的中し、2007年までほぼ毎年大発生を繰り返しました。

「アカクラゲ」。このクラゲがミズクラゲを捕食することを水族館の人から教えてもらった。「海で仕事をする漁師さんたちの目の正しさには尊敬します。研究者はもっと現場の人の声に学ぶべきです」。

赤クラゲの写真。水クラゲを捕食する。

赤クラゲの写真。水クラゲを捕食する。

知れば知るほどかなわない、原始の時代から生き抜く力

エチゼンクラゲは一体どのようなクラゲなのか。「まさに火星人的な、未知の存在だった」エチゼンクラゲの人工繁殖にチャレンジし、世界で初めて成功しました。

エチゼンクラゲは他のクラゲ同様にポリプとメデューサを繰り返し、ポリプはポドシストという約0.5ミリメートルほどの小さなタネとして長期間休眠できるシステムを持つことが分かりました。クラゲにとって都合の悪いときはタネの状態でじっとチャンスをうかがい、“増えたい時期”になると一斉に発芽し、その結果クラゲの大発生につながるのではないかと考えています。

また、体に傷のない健全なクラゲの生殖腺は未成熟ですが、体がぼろぼろに傷つくと急に精子も卵も成熟が進みます。クラゲとしての命が危うくなると、子孫を残すように体内のスイッチが切り替わるかのようです。

エチゼンクラゲは対馬海流にのって日本海を北上しながら巨大化し、体重約200キログラム、傘は直径2メートルにもなり、雌は10億個以上の卵を産みます。そんな生態を知れば知るほど、「すごい、負けた!あんたたちには勝てん」と思ってしまうと先生は言います。

「6億年前のまだ過酷な環境の海がクラゲの王国でした。その後出現した魚類の繁栄によってクラゲの王国は滅びましたが、海の中で生き抜いてきました。そして今、そのしたたかさで魚類に復讐しているのではないかと思えます。でもこれは人間が引き起こした生態系進化の逆行です。地球上での人類の存続を保証するには、なんとか手を打って、魚があふれる豊かな海を取り戻さないといけません」。

世界初のエチゼンクラゲ人工繁殖に 成功した実験室にて

世界初のエチゼンクラゲ人工繁殖に成功した実験室にて

漁業被害を食い止めるために、オールジャパンが立ち上がる

クラゲによる深刻な漁業被害を食い止めるため、農林水産省・農林水産技術会議から広島大学が受託し、全国から11機関が参加する一大プロジェクトがスタートしています。

プロジェクトネームは“STOPJELLY”「やめてよクラゲさん」。クラゲの増加や大発生は、基本的には人間活動の活発化に根ざしていますが、その因果関係を詳しく探ることでクラゲの大発生の予測と制御を目指しています。

日本に来る前の若いエチゼンクラゲの出現状況を調べるため、日本と中国を行き来する旅客フェリーの上から、黄海や東シナ海のクラゲを目視観測しています。今年6月に2回の観測を行い、すでに大量のクラゲが確認されています。今年はエチゼンクラゲ大発生の年となるのは間違いないといいます。

エチゼンクラゲの大発生は台風と一緒で、現在の科学ではコントロールできません。まずクラゲ台風の発生があるかどうか、そしていつ、どこにクラゲ台風が押し寄せるかという「クラゲ予報」が出すことが重要です。それによって漁業者は事前に対策を立て、漁業被害の軽減を図ることができるからです。

また、クラゲのポリプを殺す生物由来の化学物質の探索、ポリプの付着を誘引したり忌避したりする細菌の分離、ポリプの天敵生物の探索など、クラゲ大発生の制御技術の開発につながる研究を行っています。

長年の調査の蓄積によって、クラゲの発生プロセスに共通項が見つかるようになってきました。クラゲと魚の量的変動をコンピューターシミュレーションで予測し、クラゲを減少させるにはどのような条件が必要かを解析しています。クラゲの生態が明らかになるにつれパラメーターの定量化が可能となり、実現した研究です。

エチゼンクラゲが今年も押し寄せてくる!?

エチゼンクラゲが海流に乗って日本に押し寄せる。今年は大発生になるという。

豊かな海を取り戻そう。「里海創生プロジェクト」の目指すもの

瀬戸内海のミズクラゲ大発生問題も、なかなか解決できないでいます。

漁業資源が悪化してしまった海は、すぐには元に戻せません。だからといって放置していては荒れる一方です。「里山」は人が適度に手入れをすることにより、生産性も生物多様性も高く保たれています。同じように瀬戸内海も人が手入れをすることで、豊かな「里海」にしていかなくてはなりません。そのためには、護岸を直立のコンクリートではなく、生物が棲めるものに変えていったり、失われた藻場や干潟を人工的に作ってやったり、漁業ができない保護区を設けたり、魚貝類の種苗放流を行ったりすることが必要です。このように海を耕していくことで、関心を持ち続け、宝の海であり続けることができると思います。

この里海の思想を瀬戸内海だけでなく、東アジアの海全体に「大里海」として広げたい。それが「里海創生プロジェクト」です。そのためには現在の社会システムの根本から変えていかなくてはならないと痛感しています。海の環境変化やクラゲ大発生の有様を通して、人の生き方や考え方を見直すことの重要性を語っていきたいと思っています。

実物大のエチゼンクラゲと上教授

生物圏科学研究科エントランスにある実物大のエチゼンクラゲと一緒に

あとがき

「海がクラゲにメッセージを託して人間に伝えようとしているんじゃないか。おとなしくひっそりと暮らしていたエチゼンクラゲが大発生し、そのグロテスクな姿で押し寄せ、人間に何か伝えに来ているのではないか、と高校生の息子に説明したのです。息子は「それは『風の谷のナウシカ』の王蟲だね」と言いました。その後『風の谷のナウシカ』を見て納得しました。『崖の上のポニョ』の冒頭は海洋の生命の爆発そのものだったし、ポニョがクラゲに乗ってやってくるシーンも人間にメッセージを伝えに来るという意図が感じられて嬉しかったですね。学生の3年間、福山市鞆の仙酔島にあった水産実験所にいたので、映画の風景も懐かしく感じられました」。

上先生と宮崎駿氏との対談が実現したら、自然界と人間のあるべき姿についてきっと熱く面白く語られることでしょう。(T)


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