第30回 金子 新 教授(大学院工学研究院)

広島湾における異常潮位発生の仕組みを解明!-16日周期の水温変動を発見-

金子 新

大学院工学研究院 社会環境空間部門 金子 新(かねこ あらた)教授

に聞きました。(取材:広報グループ 2012.4.26)

 

はじめに

2012年4月10日、大学院工学研究院の金子新教授らの研究グループは、「広島湾の異常潮位の原因を解明-16日周期の水温変動が関与-」と題した研究成果の記者発表を行いました。

記者発表の様子はこちら

台風が通り過ぎた後、風の弱い穏やかな日に発生する広島湾の異常潮位は、2011年9月29日および2001年9月18日に観測されており、厳島神社の回廊冠水を引き起こしたことはテレビや新聞でも大きく取り上げられました。

金子教授は、この異常潮位の主な原因が水温、台風、海岸地形にあることを突き止めました。

瀬戸内海の潮流に関する最新の研究成果と、日本の海洋学の今について、金子教授にお話を聞きました。

 

新技術、潮の流れを「音」で測定する

金子教授の研究分野は「海洋大気圏システム学」。主に、日本南岸を流れる黒潮が瀬戸内海の潮流や水温変動にもたらす影響について研究を進めています。

潮の流れを測定するには、海中にいくつもの計測器を設置し、各側点の計測結果数値を元に、データを算出する必要があります。しかし、昔から漁業が盛んな瀬戸内海では、大がかりな計測器の設置が難しく、研究は停滞していました。

そこで、金子教授が導入したのが「音」で潮の流れや水温変動を計測することができる「沿岸音響トモグラフィー法」です。この方法は、計測したい海域を挟む両対岸に設置した計測器間で音波を双方向に送受信し、音波の到達時間差から潮の流速を、平均到達時間から水温を測定するものです。

従来の計測器よりもサイズが小さく、海岸沿いの防波堤などに装置を設置するため、漁業に支障を与えることなく測定を行うことができるのです。

この方法、海洋学の先鋒であるアメリカで開発され、日本では太平洋の広域の海流計測などに使用実績がありますが、沿岸の海流計測に応用したのは広島大学が世界で初めてです。

現状では、世界でもまだ十分に普及していない、最先端の装置なのです。

研究室所属の学生が作った沿岸音響トモグラフィー装置。

海岸の防波堤に装置を設置します。

2011年7月には広島県呉市と愛媛県今治市、12月には大分県佐伯市と愛媛県宇和島市の海岸に計測器を設置し、それぞれ安芸灘海域および豊後水道の潮流と水温データを蓄積しています。

 

広島湾で異常潮位発生!キーワードは「台風の8日後」?

そんな中、2011年9月29日、広島湾で通常予測されている秋の大潮時の最大潮位よりも35cm海面が上昇するという異常潮位が観測されました。35cmと聞くとわずかな差のように感じられますが、大潮の満潮と重なると厳島神社の回廊が冠水するなどの被害につながり、社会的影響は小さくありません。

金子教授は、この異常潮位の原因解明にあたり、以下の3点に着目しました。

 

【(1)水温の変化】

金子教授は、安芸灘海域に設置していた沿岸音響トモグラフィー装置の計測データから、瀬戸内海において16日周期の水温変動が存在することをつかんでいました。

これは、日光の影響による水温の変化が活発な表層の海水と、常に低い水温を保っている深層の海水が、その温度差のために2層に分離することによるもので、特に日差しの強い夏から秋口にかけて観測されます。風などの影響で波立ちやすい表層の海面とは異なり、表層と深層との境界面(内部界面)の変動は、対岸との間をゆったり行き来しています。この内部界面の変動が対岸との間を往復するのにかかる時間が「16日」。これにより、16日周期の水温変動が発生するのです。

今回の異常潮位発生の現場となった広島湾においても同様の水温変動が発生していることが確認でき、金子教授はここに何らかの原因が隠されていると見込みました。

海水は表層と深層の2層に分かれています。

【(2)台風の発生】

高潮が発生する原因といえば、まず台風を思い浮かべるのではないでしょうか。実は、異常潮位が発生した2011年9月29日の8日前、台風15号が紀伊半島の南東沖を通過していました。しかし、台風発生から8日もたって高潮が発生するという現象はこれまでの海洋学研究において取り上げられたことがなく、、今回の異常潮位は、台風とは関係ないと考えられていました。ところが、驚いたことに2001年9月18日に観測された異常潮位の際も、同じように異常潮位発生の8日前、台風が紀伊半島沖を通過していたことが分かったのです。

【(3)大潮の発生】

過去2回観測されている広島湾の異常潮位は、いずれも大潮発生時と重なっています。しかも、通常の大潮発生時よりも35cm程度潮位が上昇していることから、金子教授は、何らかの要因による海面の上昇と、大潮の発生が重なることが異常潮位発生の条件であると推測しました。

 

以上の観点から、金子教授は以下の結論を導き出しました。

1.まず、台風による強い北風により、表層の暖かい海水は北岸(広島湾)から対岸に位置する南岸(屋代島)へ向かって押し寄せます。
2.そのとき、少なくなった北岸の表層の海水を補うように、深層の海水が海面に上がってきます。これを湧昇(ゆうしょう)といいます。
3.台風の通過後、北岸に押し寄せていた深層の海水は北岸にぶつかった後、再び南岸に揺り戻されます。
4.同時に、南岸に押し寄せていた表層の海水は、南岸に揺り戻された深層の海水に押し上げられ、一気に北岸へと押し寄せます。
5.この揺り戻しの発生時がちょうど大潮の時期と重なったため、今回のような異常潮位の発生につながったのです。

台風通過時、一気に北側に集められた深層の海水が南側の対岸に揺り戻されるのにかかる時間は、深層の海水が対岸との間を往復するのにかかる16日の半分、8日間。異常潮位の起きた時期とぴったり一致するのです!

「台風の8日後というのは、重要なキーワードです。台風通過時に発生する高潮については、台風の影響だとすぐに分かる。しかし台風が通過し、忘れた頃に異常な内部界面変動で起こる高潮も、まさか台風の影響だとは誰も考えつかなかったのでしょうね。」と金子教授は語ります。

 

40年ごしの大きな進歩

この大きな発見のひとつのきっかけとなった深層の海水の動き、海洋学では「内部サージ」と呼ばれています。これらの現象については、1970年代に当時英国海洋研究所の新進の研究者であったS.A.ソープ氏により、イギリスのネス湖において存在が確認されており、「強風後に、細長い湖の深層で発生する大きな内部界面変動」として科学雑誌「Nature」に掲載されていました(現在、ソープ博士は英国王立学会会員(Fellow of Royal Society)で、この分野の世界的権威です!)。

そう言われてみれば、広島湾は湖ではないものの、小さな島々に囲まれ、まるで湖のような地形になっています。

しかし、この時点では水面上昇との関連には触れられず、「内部サージによる異常な水面変動」に関する研究は現在に至るまで滞っていました。また、海においてもこのような現象が見られるという報告もありませんでした。

今回の金子教授の発見は、40年ごしの大きな進歩といえます。

言われてみれば、湖状?

日本の海洋学は遅れている!

「はっきり言って、日本の海洋学は諸外国に遅れをとっています。」と金子教授は言います。

海洋学の最先端をゆくアメリカ・ウッズホール海洋研究所に客員研究員 として所属していたころ、このことを痛感したそうです。アメリカでは、海洋研究所の積極的な計測データ収集や、軍による衛星観測データの公開など、トップレベルの海洋学研究に見合った環境が整備されています。日本においても、気象庁や海上保安庁によるデータ公開はされていますが、これも限られたもの。圧倒的に研究材料が不足しているのです。

金子教授がこの分野に進もうと考えたのも、日本の海洋学の現状に危機感を持ったためです。

「日本国内で現在公開されているデータだけでも、”ある程度”の研究は可能です。しかし、”ある程度”を超えるためには自分でデータを取りに行かないと。机上にとどまっていては、研究は進まないのです。」

 

研究のこれから、日本の海洋学のこれから

広島湾の異常潮位の研究に関しては、「Nature」への投稿論文をほぼ書き終えたところです。今後は、台風の影響のみでなく、太田川から広島湾へ流入する「甘い水」との関係性についても、流体力学の観点から検証を進めていくそうです。

日本の海洋学のこれからという意味では、「沿岸音響トモグラフィー法」の技術移転を行い、次の世代の海洋学研究者の育成に力を入れます。現在はインドネシアや中国などからの留学生を指導しているそうです。

『「沿岸音響トモグラフィー法」を使えば、これまでデータ収集が困難だった沿岸海域のデータを得ることが出来ます。日本の海洋学発展のため、この方法を国内に普及させていきたいです。』と今後の意気込みを語りました。

「少しでも日本の海洋学の発展に寄与したいですね」と金子教授

あとがき

厳島神社の回廊冠水のニュース、「こういうこともあるんだなあ…不思議だなあ…」とテレビをぼんやり眺めていました。今回の金子教授の研究成果を聞いて、どんな現象もすみずみまで分析していけば、ちゃんと原因があって、説明がつくのだなあ…と実感しました。「やっぱり、ほしいデータは自分で取りに行かないとね!」と力強く語る先生の姿が印象に残っています。お話に出てきた「沿岸音響トモグラフィー法」、津波の発生予測にも役立つそうです。今後この方法が日本でも主流となり、さまざまな方面で活用される時代がくることを期待しています!(S)


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