広島大学大学院医系科学研究科の渡邊龍憲(助教)、プロダクティブ・エイジング研究機構の吉岡 潔志(研究員)、岐阜大学工学部機械工学科の松下光次郎(准教授)、ハバナトレーナーズルームの石原心(代表)らの研究グループは、イップスを発症しているアスリートでは、動作遂行に関連する特徴的な脳活動がみられることを明らかにしました。
イップスは、スポーツで見られる「練習により熟練し自動化された競技動作の遂行障害」とされ(図1)、プロ野球選手やプロゴルファーの発症告白により、近年その注目度が高くなっています。
イップス発症は競技成績に大きく影響するため、プロのアスリートにおいては競技引退や失職の直接的な原因となりえますが、その発症メカニズムはほとんどわかっていません。
本研究では、イップスを発症しているアスリートにおいて、同等の競技歴をもつアスリートと比較し、動作開始時にみられる事象関連脱同期(event-related desynchronization: ERD)と呼ばれる特徴的な脳波が増強していることを明らかにしました。
ERDの増強は、実際の動作時だけでなく、動作を強くイメージするだけでも見られることや、運動抑制系の機能と関連することなどが知られており、動作遂行時の運動関連脳機能の異常がイップスで見られる競技動作の崩壊につながっていることが示唆されます。
本研究成果は「Scientific Reports」に掲載されました。
【背景】
熟練したスポーツのアスリートや音楽家において、繰り返しの練習によって当たり前にできていた動作がある日突然できなくなるという症状があることは古くから知られ、アスリートでは「イップス」、音楽家では「ミュージシャンズ・ジストニア」と呼ばれています。近年では、有名なプロスポーツ選手の告白により、広く一般にも知られるようになりましたが、神経生理学的な運動制御機構のどこに問題が生じているのかについては不明なままでした。
これまでに、運動を行う際、ヒトの感覚運動野では事象関連脱同期(event-related desynchronization: ERD)と呼ばれる特徴的な脳波が、企図した運動の準備段階や運動中においてみられることが報告されていました。このERDの増強は運動を行うための神経系の興奮性増加と、運動抑制系の機構の減弱を反映しています。また、運動終了時にみられる事象関連同期(event-related synchronization: ERS)と呼ばれる脳波は、運動野やその関連ネットワークの積極的抑制を反映しています。このような運動制御に関連する脳波の特徴は報告されていましたが、競技動作の崩壊が主症状であるイップスとの関連については不明でした。
【研究成果の内容】
今回、研究ユニット(Yips Lab. Japan)では、イップスを発症しているアスリートと、年齢・性別・競技歴をマッチさせた対象群に対して、センサーをつまむ力を調節する課題動作(図2)を行ってもらい、脳波測定を行いました。
この課題動作の遂行開始時点において、イップス群ではERDの有意な増強がみられました。また、開始した動作の調整中の脳波には群間で差が見られなかった一方で、動作終了時のERSは増強していました。このことは、イップスを発症しているアスリートでは、(1)運動開始や終了といった動作のon/off切り替えのタイミングでの運動制御に特徴がみられること、(2)運動開始時ERDの増強から、動作を強くイメージする傾向があることや、不必要な筋活動の抑制がうまくできていないこと、(3)終了時ERSの増強から、力の調節に大きな労力を費やしていること、が示唆されます。
【今後の展開】
イップスは、野球の投球やゴルフのパター、弓道やアーチェリー、ダーツといった射的競技など、幅広いジャンルの様々なスポーツ競技動作においてその症状がみられ、特定の動作を対象としたデータ収集が困難なことから、学術的な研究は非常に少なく、個人の経験を頼りに克服方法や治療方法が模索されてきました。
今回の研究では、非常に簡単な動作であっても、イップス発症者は特徴的な動作遂行戦略を非意識下で採用している可能性が示唆され、今後、科学的知見に基づくイップス克服のための介入方法の確立につながることが期待されます。