大学院統合生命科学研究科
教授 斎藤 祐見子
Tel:082-424-6563 FAX:082-424-0759
E-mail:yumist*hiroshima-u.ac.jp
(注: *は半角@に置き換えてください)
本研究成果のポイント
- 食欲及び情動行動を調節する脳内物質、メラニン凝集ホルモン (MCH) は細胞センサー一次繊毛に直接作用し、その長さを短くします。
- 繊毛長が短くなるとき500以上もの遺伝子が変動することがわかりました。その多数の遺伝子のなかから、PDLIM5が最大の鍵分子であり、その下流ではアクチニンが働くことを突きとめました。
- 食欲が亢進しているマウスではMCHを経て、PDLIM5-アクチニン経路が活性化し、神経細胞の一次繊毛が短くなることを見出しました。
概要
広島大学大学院統合生命科学研究科の小林勇喜助教、斎藤祐見子教授、原爆放射線医科学研究所の宮本達雄准教授らは、食欲・情動調節物質MCH(注1)が作用する新たなシグナル伝達経路を見出しました。細胞センサー一次繊毛(注2)の長さは細胞の機能と密接にリンクすると言われています。同グループはMCHが一次繊毛にあるMCH受容体に作用し、繊毛長を短くすることを観察していました。このとき、細胞内のダイナミックな変化を伴うはずですが、その仕組みはよく分かっていませんでした。今回、RNA-seq解析(注3)を活用することにより、MCH受容体が活性化すると536の遺伝子が変動することがわかりました。そこで、綿密なプロファイリング解析を行い、RNAi技術(注4)やゲノム編集技術(注5)を用いて詳しく調べた結果、PDLIM5が繊毛縮退における最大の鍵分子であり、その下流ではアクチニン(注6)が機能することを見出しました。さらに、食欲亢進状態にあるマウス脳ではPDLIM5-アクチニン経路が活性化し、MCH受容体が存在する一次繊毛長が短くなっていることを明らかにしました。
肥満や精神疾患モデル動物脳にある神経細胞一次繊毛は通常よりも短いことが観察されています。一方、MCH-MCHR1系もPDLIM5も同疾患と関連することが報告されています。本研究は、この別々に見えた事象をつなげる足がかりとなりました。今回見出した、一次繊毛を出発点とする新しいシグナル伝達機構は、病的肥満や気分障害に対する新たな治療法の開発に貢献することが期待されます。
本研究の成果は、Federation of American Societies for Experimental Biology発行の学術雑誌「FASEB BioAdvances」オンライン版に7月6 日付 (Early View)で掲載されました。本研究は、東京大学、群馬大学、アルメッド株式会社、カリフォルニア大学との共同研究であり、科学研究費助成事業および広島大学オルガネラ疾患研究拠点による支援を受けて実施されました。
用語解説
(注1)メラニン凝集ホルモン(MCH):
脳にある視床下部神経細胞で作られる神経伝達物質。哺乳類では食欲を亢進するほか、記憶や情動行動(うつ不安行動)にも関与する。
(注2)一次繊毛:
細胞表面に発達する不動性の突起構造。一次繊毛を覆う細胞膜(繊毛膜)には、細胞外の情報(増殖因子、ホルモン、機械的刺激など)を感知するための特別なタンパク質が高密度に集積し、細胞の「環境センサー」として機能する。
(注3)RNA-seq解析:
次世代シークエンサーを用いて細胞の中のmRNAの配列を解読し、各遺伝子の発現量を定量する手法。
(注4)RNAi技術:
細胞に対して人工的に二本鎖RNAを導入し、目的の遺伝子発現のみを効果的に抑制する技術。
(注5)ゲノム編集技術:
ゲノム上の任意の塩基配列を切断するCRISPR-Cas9システムなどの人工ヌクレアーゼを用いて、遺伝情報を効率的に改変する技術。
(注6)アクチニン:
アクチン結合タンパク質の一種で、アクチン繊維に結合し、架橋する束形成タンパク質。最近では、シグナル伝達に関与する分子の足場タンパク質として機能するという報告もある。
発表内容
【背景】
私たち哺乳類のからだを作っている細胞表面には長さ数ミクロンの非常に小さな「1本の毛」のような構造「一次繊毛」が発達しています(参考資料・図1)。一次繊毛を覆う細胞膜(繊毛膜)には、細胞外情報をキャッチする受容体が集まっているため、一次繊毛は鋭敏な「環境センサー」として機能します。一次繊毛の長さは細胞の持つセンサー能力とリンクすることがわかっています。繊毛長を短くする物質は非常に少ないのですが、私たちは神経細胞がつくるMCH-食欲・情動行動の調節物質-そのものが繊毛膜にあるMCH受容体に働きかけ、繊毛長を短くする現象を見いだしています(参考資料・図2)。しかし、このダイナミックな動態はどのような機構で生じるのか、よく分かっていませんでした。
本研究では、重要な生理活性物質MCHを起点とした、一次繊毛長を短くする仕組みの解明を目的として、最先端のRNA-seq解析やゲノム編集技術を駆使して調べました。さらに、海馬由来の神経細胞や食欲が亢進した動物に着目することで、本研究の生理的な意義づけも展開しました。
図1 一次繊毛の構造
一次繊毛は細胞膜から突出する1本の構造体であり、細胞外の情報を細胞内へとシグナル伝達するアンテナ器官として働きます。通常、多くの受容体は細胞膜に存在しますが、ある限られた種類の受容体は一次繊毛膜に運ばれ、そこで機能します。食欲・情動調節物質MCHの受容体はそのひとつであり、一次繊毛膜に高密度に存在します。
図2 MCH受容体を持つ一次繊毛の特徴-長さに着目
一次繊毛の長さは細胞機能と関連することが報告されています。繊毛長を変えることができる物質は非常に少ないのですが、食欲・情動(うつ不安)行動に関連する脳内物質MCHを添加すると、MCH受容体を持つ一次繊毛の長さが短くなります。
これはヒト由来神経細胞にMCHを添加した際にも生じるユニバーサルな現象であることがわかっています。
【研究成果】
繊毛縮退のための上流シグナル(MCH受容体に働きかけた直後に起こること)について調べたところ、①Gi/oタンパク質を介し、AktとJNKという2つの酵素がともに活性化すること、②遺伝子発現の変動(→タンパク質量の変動)が起こること、この2つが必須条件であることがわかりました。
そこで、MCHを添加することでどのような遺伝子が変動するのかRNA-seq解析により調べました。その数は予想よりも遥かに多く、536種類もの遺伝子の変動が検出できました。次に、それらの遺伝子について綿密なプロファイリングを行い、さらにRNAi技術やゲノム編集技術などを用いて詳しく調べたところ、PDLIM5が繊毛縮退における最大の責任分子であることを明らかにしました。
PDLIM5には様々なタンパク質が結合することが知られています。その結合候補の中から、アクチニンが繊毛縮退にとって欠かせないタンパク質であることを見出しました。アクチニンはアクチン繊維タンパク質の動態を大きく変える機能を持っていることがよく知られています。実際、繊毛縮退の際、細胞全体に広がるアクチン繊維が密に、しかも多数出現する様子を検出しました。
さらに、食欲亢進状態にあるマウス脳ではMCH発現量が激増し、PDLIM5-アクチニン経路が活性化し、MCH受容体が存在する一次繊毛が短くなっていることを明らかにしました。
以上の結果から、食欲・情動調節物質MCHはMCH受容体-Gi/o-Akt/JNK酵素の活性化-PDLIM-アクチニン-アクチン繊維の動態変化という連携した経路を経て、繊毛縮退に到ることを明らかにしました(参考資料・図3)。
図3 MCHにより一次繊毛が短くなる仕組み
MCHは繊毛膜にあるMCH受容体に働きかけ、Gi/o-Akt/JNK活性化を経てPDLIM5とアクチニンの遺伝子発現量およびタンパク質の量を亢進します。アクチニンはアクチン繊維の大規模な動態変化を引き起こし、アクチン繊維が細胞内に張り巡らされるようになります。その結果、繊毛維持に必要な細胞内交通網が遮断され、繊毛の長さが短くなると考えられます。実際にアクチン繊維重合を阻害すると、MCHによる一次繊毛縮退は起こらなくなりました。
【今後の展開】
本研究により、一次繊毛の長さを短くする経路として、初めて、”MCH/MCH受容体-Gi/o-Akt/JNK-PDLIM5-アクチニン-アクチン動態の変化”が明らかになりました。一次繊毛の形成・機能異常に起因する遺伝性疾患は繊毛病と呼ばれます。それは、網膜色素変性症、嚢胞腎、多指症など多岐にわたる症状を呈するだけでなく、肥満や精神発達遅滞・認知障害などの症状を伴うことも多く見られます。本研究において得られた知見は、一次繊毛という「場」を起点とする情報システムの理解や繊毛病の神経症状に対する創薬への手がかりを示した内容と考えられます。
論文情報
- 掲載誌: FASEB BioAdvances
- 論文タイトル: Ciliary GPCR-based transcriptome as a key regulator of cilia length control
- 著者名: 小林勇喜1、友重桜子1、今門宏輔1、関野祐子2、小金澤紀子3、白尾智明4、Giovanne B. Diniz5、宮本達雄6、*斎藤祐見子1
1. 広島大学大学院統合生命科学研究科
2. 東京大学大学院薬学系研究科
3. 群馬大学大学院医学系研究科
4. アルメッド株式会社
5. California National Primate Research Center、 Univ California、 Davis
6. 広島大学原爆放射線医科学研究所*責任著者
- DOI: https://doi.org/10.1096/fba.2021-00029