〈広報に関すること〉
農研機構 生物機能利用研究部門 研究推進室 遠藤 真咲
Email: nias-koho@ml.affrc.go.jp
TEL : 029-838-6005
広島大学 広報室
Email: koho@office.hiroshima-u.ac.jp
概要
カイコはシルク生産だけでなく、有用タンパク質生産にも利用できるようになり、新たな用途が拡大しています。カイコの産業利用を拡大するには1頭当たりのシルク生産量の増加が必要ですが、カイコ体内におけるシルクの合成メカニズムは十分に明らかになっていません。そのメカニズムを解明するため、農研機構、広島大学、情報・システム研究機構は共同で、カイコの絹糸腺(けんしせん)1)での全遺伝子の発現量について詳細なデータを取得、解析し、得られたデータを公開しました。
本研究で得られたデータを活用して、ニーズに合ったカイコの品種育成の加速化や、有用タンパク質の生産性向上等、カイコの産業利用の拡大を目指します。
近年、カイコの作るシルクは環境負荷の少ない天然繊維として再び注目を浴びています。また、2000年にカイコの遺伝子組換え技術が開発され、カイコが本来作らないタンパク質をシルクと一緒に生産させることが可能になったため、カイコは新たなタンパク質生産ツールとしても注目されています。さらなるカイコの産業利用の拡大を目指すには、カイコ1頭当たりのシルク生産量の増加が強く望まれています。その課題をクリアするためにはカイコ体内におけるシルクの合成メカニズムの理解が必要ですが、それらはまだ十分に明らかになっていません。
そのメカニズムを解明するため、農研機構、広島大学、情報・システム研究機構の共同研究グループは、シルクを作る組織である絹糸腺のどの部位で、どのような遺伝子が、いつ働くのかについて詳細に調査しました。具体的には、カイコ5齢幼虫2)の絹糸腺を24時間毎に取り出して、部位毎にカイコの全遺伝子(約17,000種類)の発現量を網羅的に解析しました(図1)。
絹糸腺を細かな部位に分け、経時的かつ網羅的に全ての遺伝子発現量を解析したデータはこれまでありませんでした。これらのデータは、全て公開しており、どなたでもダウンロードが可能です(URL: https://doi.org/10.6084/m9.figshare.c.6978654)。カイコを中心とした昆虫研究を行う皆さまにご活用いただけます。
今後、研究グループは本研究で得られたデータを活用して、シルクが作られるメカニズムの全容解明に取り組み、高品質なシルクをより多く作るカイコの品種育成や、カイコを用いた有用タンパク質の生産性向上を通して、養蚕業の発展や新規のバイオ産業創出への貢献を目指します。

シルクを作る組織である絹糸腺のどの部位で、どのような遺伝子が、いつ働くのか、詳細に調査しました。
関連情報
予算:
農林水産省委託プロジェクト研究「昆虫(カイコ)テクノロジーを活用したグリーンバイオ産業の創出プロジェクト」22680575
共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT)「Bio-Digital Transformation(バイオDX)産学共創拠点」JPMJPF2010
科研費基盤B「シルクの構造・物性の多様性を担う分子基盤の解明」 21H03831
大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 データサイエンス共同利用基盤施設 公募型共同研究:ROIS-DS-JOINT「カイコにおけるシルクタンパク質発現量調節に関わる新規遺伝子の同定のためのリファレンス遺伝子発現データセットの取得およびオーソログ推定」016RP2022
問い合わせ先
研究推進責任者:農研機構 生物機能利用研究部門 所長 立石 剣
同 基盤技術研究本部 農業情報研究センター センター長 高山 茂伸
研究担当者:農研機構 生物機能利用研究部門 昆虫利用技術研究領域
主任研究員 横井 翔
(基盤技術研究本部 農業情報研究センター兼任 (当時))
上級研究員 上樂 明也
同 絹糸昆虫高度利用研究領域 上級研究員 坪田 拓也
研究領域長 瀬筒 秀樹
同 植物防疫研究部門 果樹茶病害虫防除研究領域
主任研究員 増岡 裕大
(生物機能利用研究部門 昆虫利用技術研究領域 兼
基盤技術研究本部 農業情報研究センター(当時))
広島大学大学院 統合生命科学研究科 教授 坊農 秀雅
情報・システム研究機構 データサイエンス共同利用基盤施設
ライフサイエンス統合データベースセンター
特任助教(当時) 小野 浩雅
特任助教 千葉 啓和
広報担当者:農研機構 生物機能利用研究部門 研究推進室 遠藤 真咲
TEL 029-838-6005
プレス用e-mail nias-koho@ml.affrc.go.jp
開発の社会的背景
農研機構は蚕糸業に貢献できる新たなカイコ系統の作成・育成のための試験研究を進めてきました。特に、2000年に開発したカイコの遺伝子組換え技術は、カイコが本来作らないタンパク質をシルクと一緒に生産させることを可能にし、カイコにシルク生産以外の産業価値を生み出しました。実際に、遺伝子組換えカイコを用いて有用タンパク質を作る技術はヒト体外診断薬や研究用試薬の製造に利用され、それらの製品はすでに市販されています。また、遺伝子組換えカイコの作出・タンパク質生産の受託サービスを提供する企業もあります。
今後、カイコの産業利用をさらに拡大させるには、有用物質の生産効率を高め、より低コスト化することが必須であり、シルクの生産量がより多いカイコの品種育成が望まれています。それには、カイコ体内におけるシルクの合成メカニズムの理解が必要ですが、まだ十分に明らかにはなっていません。
研究の経緯
カイコのシルクは、フィブロインという繊維タンパク質が、セリシンという糊に相当するタンパク質で覆われている構造をしており、これらのシルクの“素”となるタンパク質はカイコの幼虫体内の絹糸腺という組織において作られます。まず幼虫の尾部に近い後部絹糸腺でフィブロインが合成されて中部絹糸腺に送られ、中部絹糸腺でセリシンが合成されフィブロインを覆ったのち、頭部に近い前部絹糸腺に送られ、頭部に存在する吐糸口(としこう)という部位からシルクが吐き出されます(図1)。シルクの合成に重要な遺伝子はいくつか知られていますが、絹糸腺のどの部分で、いつ、どのような遺伝子がどのくらい発現することでシルクが合成されるのか、その詳細は明らかになっていません。
近年、ゲノムの塩基配列を解析する装置であるDNAシーケンサーの技術革新により、膨大な塩基配列データを極めて低コストで得ることができるようになりました。これによって、RNA Sequencing(RNA-Seq)3)を大量に行い、高精度に各遺伝子の発現量データを取得することが可能になった結果、特定の組織において、カイコの全ての遺伝子1つ1つについて、いつ、どこで、どのくらい発現しているかを知ることができるようになりました。
そこで共同研究チームは、カイコ体内におけるシルクの合成メカニズムの理解に資することを目的として、シルクの合成が行われる時期の絹糸腺における、カイコの全遺伝子の発現量データを網羅的に解析しました。
研究の内容・意義
1. カイコ絹糸腺のサンプルの準備
遺伝子組換えカイコの研究等でよく利用される「w1 pnd 」というカイコ系統を用い、シルクが作られる中部絹糸腺、後部絹糸腺に着目して実験を行いました。同日に産卵されたカイコ集団が5齢0日目幼虫になってから8日間、毎日同時刻に幼虫から絹糸腺を取り出し、中部絹糸腺をさらに前部、中部、後部の3つの部位に分け(それぞれ、中部絹糸腺前部、中部絹糸腺中部、中部絹糸腺後部)、後部絹糸腺を加えた合計4種類の部位を遺伝子発現解析用のサンプルとして準備しました。(図1)。
2. 網羅的遺伝子発現量データの取得、解析
1.の方法で準備した絹糸腺サンプルからRNAを抽出し、RNA-Seqを行い、カイコの全遺伝子(約17,000種類)の網羅的な遺伝子発現量データを取得しました。主要なシルク遺伝子のうち、セリシンの合成に関わるセリシン1、2、3遺伝子について、部位毎に発現量の経時的変化を調べたところ、いずれの遺伝子も、絹糸腺部位毎に異なる発現パターンを示しました(図2)。この結果は先行研究と齟齬が無く、本研究で得られた遺伝子発現量データの信憑性が高いことを確認できました。

図2. 主要なシルク遺伝子の発現量変化の例
横軸は5齢幼虫になってからの日数、縦軸の数値は遺伝子の発現量を表しています。
3. 得られたデータおよび関連データの公開
このように絹糸腺を細かな部位に分け、経時的かつ網羅的に全ての遺伝子発現量を解析したデータはこれまでありませんでした。今回取得した遺伝子発現量データ、およびこれらの関連データ(発現量データの元となったRNA-Seqのデータ、遺伝子発現量を求める際に行ったデータ解析の過程で得られた中間データを含む)は、全て公開しており、どなたでもダウンロードが可能です。カイコを中心とした昆虫研究を行う皆さまにご活用いただけます。
URL: https://doi.org/10.6084/m9.figshare.c.6978654
今後の予定・期待
本研究で得られたカイコの中部絹糸腺および後部絹糸腺における遺伝子発現量データを元に、シルク生産の鍵となる遺伝子の同定を進める予定です。それらの遺伝子情報を活用することで、交配に適した親の組み合わせ決定や、交配で得られた個体の中からシルク生産量が多いと考えられる個体の選抜を迅速に行えるようになり、ニーズに合った新品種をより短期間で作出することが可能になります。
また、シルク生産の鍵となる遺伝子を改変して1頭当たりのシルク生産量を増やし、有用タンパク質分泌システムと組み合わせることで、有用タンパク質の生産量を向上させることも可能になると考えられます。それにより、医薬品原体などの有用タンパク質産出のコスト低減を目指します。
さらに、本成果で得られた発現量データを活用することで野蚕など、家畜化されたカイコ以外の昆虫におけるシルク合成メカニズムの解明が進み、昆虫シルクの産業利用への道が広がることが期待されます。
本研究で得られたデータは広く公開しており、シルク生産性や有用タンパク質生産に関する研究の加速を通じて、養蚕業の発展や新規のバイオ産業の創出に貢献します(図3)。

図3. 本成果を用いた今後の展開
写真、イラストはTogoTVより引用、改変(© 2016 DBCLS TogoTV, CC-BY-4.0 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.ja)
用語解説
1) 絹糸腺
シルクはカイコの幼虫体内の絹糸腺という組織において合成され、絹糸腺は、頭に近い位置から順に、前部絹糸腺、中部絹糸腺、後部絹糸腺という3つの部位に分けられます。本研究ではシルクが作られる中部絹糸腺、後部絹糸腺に着目して詳細な遺伝子発現解析を行いました。
2) 5齢幼虫
カイコは、卵(蚕種(さんしゅ))からふ化すると、1齢幼虫(毛蚕(けご)、蟻蚕)となり、脱皮をするごとに2齢、3齢、となります。4回の脱皮を経て、5齢(終齢)幼虫になると絹糸腺で活発にシルクが合成され、1週間ほどで繭を作り始めます。
3) RNA-Sequencing
生物由来の組織に存在するRNAの配列情報を次世代シーケンサーと呼ばれる機械を用いて読み取る解析手法です。RNAの種類と量を調べることにより、どの遺伝子がどの程度発現しているか調べることができます。
発表論文
Time-course transcriptome data of silk glands in day 0-7 last-instar larvae of Bombyx mori (w1 pnd strain)
Yudai Masuoka, Akiya Jouraku, Takuya Tsubota, Hirokazu Chiba, Hiromasa Ono, Hideki Sezutsu, Hidemasa Bono, Kakeru Yokoi
2024 Scientific Data 11, Article number: 709
https://doi.org/10.1038/s41597-024-03560-1