広島大学瀬戸内CN国際共同研究センターの和田茂樹教授らの研究グループは、海底からCO2が噴出し自然に高CO2環境となった東京都の伊豆諸島にある式根島沿岸の海藻藻場において、自然海藻群集の光合成生産量を測定しました(図1)。CO2は光合成の基質であることから、その増加は海藻の光合成生産量を増大させ(CO2施肥効果※3)、大気CO2の削減に寄与することで気候変動を緩和する可能性があります。しかし、2つの異なる手法で様々な季節に測定を行ったにもかかわらず、CO2濃度が異なる場所で光合成の違いが見出されることはありませんでした。つまり、CO2が増えてもそれを相殺できるような光合成の増大は考えにくいこととなります。この結果から、CO2が増加した未来の海洋環境においても、海藻藻場がCO2を吸収する能力の変化は大きくないことが示されました。つまり、自然環境に頼るだけでなく、我々人類はCO2排出量を積極的に削減していかなければなりません。
本研究成果は、ネイチャー系国際科学誌「Communications Earth & Environment」に以下の論文として10月31日18時に公開されました。
<発表論文>
論文タイトル:Elevated carbon dioxide does not increase macroalgal community photosynthesis
著者:和田茂樹, 黒澤伸吾, Sylvain Agostini, Ben P. Harvey, 佐藤雄飛, Marco Milazzo, Jason M. Hall-Spencer
掲載雑誌:Communications Earth & Environment (Q1)
DOI:https://www.nature.com/articles/s43247-025-02730-2
人為起源の二酸化炭素(CO2)の放出は未だ留まる兆候を見せておらず、地球環境に及ぼす影響が懸念されています。CO2の影響は地球温暖化※4だけでなく、海水中のCO2濃度の増加とそれに伴う海水の化学的性質の変化(海洋酸性化※5)も引き起こします。高CO2の影響には、生物多様性の低下や生態系機能の劣化など一般的に負の影響とみなされる現象が知られていますが、植物が行う光合成の基質であるCO2が増加することで、生態系の生産性が増大する可能性(CO2施肥効果)は生態系への正の影響と捉えられてきました。海藻類は海洋の主要な一次生産者の一つであり、これまでに高CO2が海藻の光合成に及ぼす影響は、水槽での飼育実験など単一種を対象に行われてきました。しかし、自然の生態系には様々な海藻種が生息しており、生態系全体として捉えた時のCO2施肥効果を検証することは行われていませんでした。
本研究では、筆者らが発見した自然の高CO2海域(CO2シープ※6:火山性のCO2ガスが噴出した高CO2海域が存在)を利用して、海藻藻場生態系の光合成に対する高CO2の影響評価に取り組みました。この際、海底の一角を透明な容器で覆うチャンバー試験と、水塊の移動時に生じる酸素濃度の変化から光合成を見積もる環境モニタリング試験の2つのアプローチを採用しましたが、どちらの実験においてもCO2施肥効果は見られませんでした(図2)。さらに、海藻がCO2を効率的に取り込む生理的プロセス(CCM:CO2濃縮機構※7)を評価するため、炭素安定同位体※8(13C)を指標とした解析を行ったところ、高CO2海域ではCCMを介した炭素取り込みが弱まることが明らかとなりました。つまり、現在のCO2濃度の低い海において海藻は、CCMを利用して効率的にCO2を取り込むことで低CO2環境で高い光合成活性を維持しています。しかし、低CO2環境においても既に高い光合成活性を有するために、環境中のCO2濃度が増加しても施肥効果は生じないと考えられます。
光合成はCO2を取り込む最初のプロセスであり、生態系のCO2吸収において最も重要です。しかし、CO2が光合成で有機物に変えられた後、分解や輸送、埋没といったプロセスを経て最終的に海藻藻場の炭素隔離量※9が決まります。そのため、今後は高CO2環境で海藻が吸収した炭素の行方をたどっていくことで、海藻藻場が持つ気候変動緩和効果を正確に予測することが期待されます。特に、高CO2海域を活用した研究を行う国際ネットワーク(ICONA)※10は、2030年のSDGs達成に向けた活動を活性化しており、式根島だけでなく世界各地のCO2シープを利用した研究も進めていきます。
本研究は科学研究費助成事業基盤研究(B)(19H04234)、科学研究費助成事業基盤研究(A)(22H00555)、環境省環境研究総合推進費(4RF-1701)、Scientific Commuttee on Oceanic ResearchのChanging Oceans Biological Systems project(OCE-1840868)、JSPS拠点形成事業の自然の海洋酸性化生態系をつなぐ国際共同研究拠点(ICONA:JPJSCCA20210006)の支援を受けました。また、筑波大学下田臨海実験センターの技術職員、琉球大学の藤村准教授、筑波大学の濱名誉教授、新島村漁協式根島支所、式根島の皆様のご支援を受けました。
※1 気候変動:広義には、自然要因に起因するものも含む場合もあるが、近年では地球温暖化など人間活動に起因する地球の気候の変化を指す。
※2 気候変動緩和:温室効果ガスの排出抑制など気候変動の進行を抑制する対策を意味する。
※3 CO2施肥効果:光合成の基質となるCO2が増加することで、植物の生産力が増大すること。
※4 地球温暖化:CO2をはじめとする温室効果ガスの影響で生じる、地球の気温上昇を指す。
※5 海洋酸性化:大気中で増加したCO2の一部が海水に溶け込み、pHの低下をはじめとする海水の炭酸系の化学平衡に影響が生じる現象を指す。
※6 CO2シープ:火山活動の影響などで、海底からCO2ガスが噴出する海域を指す。周囲に高CO2環境が広がるため、海洋酸性化の進行した仮想的な未来の生態系を見ることのできる研究サイトとして注目されている。
※7 CCM(CO2濃縮機構):低CO2環境に適応する機構であり、CO2を固定する酵素(RubisCO)周辺にCO2を濃縮することで効率よく炭素固定を行う機構。
※8 炭素安定同位体:炭素原子の原子量はほとんどが12であり、6個の陽子と6個の中性子からなる。しかし、原子量が13(6個の陽子と7個の中性子)からなる同位体が天然に存在している。
※9 炭素隔離量:炭素が長期間にわたり大気CO2に戻ることなく保存される量を指す。
※10 ICONA(International CO2 Natural Analogue Network):CO2シープを研究拠点とする世界各国のグループが国際ネットワークを作ることで、生態系をまたぐ調査を基にした生態系間の比較や海洋酸性化の生態系への影響の包括的評価を目的としたネットワーク。