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【研究成果】電子の“スピン”を操る次世代材料の実像を世界初観測 ― 省エネ型メモリ開発につながる窒化鉄Fe₄Nの電子状態を解明 ―

本研究成果のポイント

  • 次世代メモリ材料として注目される窒化鉄「Fe₄N」内部のバンド構造とスピン状態を世界で初めて解明
  • より高い性能を示すスピントロニクス分野におけるデバイス開発や理論計算による物質開拓に強力な指針
  • 広島大学の放射光科学研究所(通称HiSOR)を活用して実現
     

概要

 広島大学大学院先進理工系科学研究科、持続可能性に寄与するキラルノット超物質拠点(WPI-SKCM2)の木村昭夫教授の研究グループは、広島大学放射光科学研究所(HiSOR)の奥田太一教授、物質・材料研究機構の磯上慎二主幹研究員、増田啓介主任研究員と共同で、次世代の省エネ電子デバイス材料として注目される窒化鉄「Fe₄N」(*1)を世界で初めて明らかにしました。今回の成果は、次世代の低消費電力デバイスとして期待されるスピントロニクス材料(*2)の設計指針を与えるものです。
 本研究成果は、米国物理学会誌 Physical Review Research に2026年6月8日に掲載されました。

論文情報

論文タイトル:Visualizing bulk band structure in Fe4N thin-films by spin- and angle-resolved photoelectron spectroscopy
著者名:中西楓恋1、鹿子木将明1、大和田清貴1、黒田健太1,2、角田一樹3、佐藤仁3、宮本幸治3、奥田太一2,3、*磯上慎二4、*増田啓介4、桜庭裕弥4、*木村昭夫1,2(*責任著者)
所属:1広島大学大学院先進理工系科学研究科、2広島大学持続可能性に寄与する超物質拠点(WPI-SKCM2)、3広島大学放射光科学研究所、4物質・材料研究機構
DOI:10.1103/mlcy-gszb

背景

 私たちの身の回りの電子機器は、「電子の電荷」を利用しています。一方で、電子は小さな磁石のような性質「スピン」(*3)も持っています。このスピンを利用する技術がスピントロニクスです。例えば、ハードディスク(HDD)の読み取りヘッドや磁気メモリ(MRAM)では、スピンの向きによって電気抵抗が変化する現象(TMR)が利用されています。
 鉄(Fe)は、古くから知られる代表的な強磁性体です。しかし、その結晶中に窒素(N)が入り込み、「逆ペロブスカイト構造」と呼ばれる特殊な構造を形成すると、電子の流れ方やスピン状態が大きく変化します。特に鉄窒化物 Fe₄N は、「負の100%スピン偏極」(*4)を示す可能性が理論的に予測され、次世代スピントロニクス材料として世界的に注目されてきました。しかし、実際にどのような電子状態やスピン状態が形成されているのかは、これまで直接観測されていませんでした。本研究は、物質の構造がその性質や機能をどのように生み出すのかを明らかにする研究でもあります。つまり Fe₄N は、物質の構造が電子のスピン状態を変え、新しい機能を生み出す好例といえます。本研究は、その関係を電子状態とスピン状態の直接観測によって明らかにするものです。

図 1: 物質・材料研究機構(NIMS)において、Fe4N薄膜を超高真空マグネトロンスパッタ法により作製し、ポータブル真空輸送チャンバーによってNIMSから放射光科学研究所HiSORに大気に晒すことなく輸送し、スピン・角度分解光電子分光を行った。

研究成果の内容

 本研究チームは、伝導電子の大きな負のスピン偏極度が期待される鉄窒化物Fe4Nに着目し、広島大学放射光科学研究所(HiSOR)のシンクロトロン放射光(*5)を利用したスピン・角度分解光電子分光実験(*6)を行い、バンド構造とそのスピン状態を明らかにしました。一般に、角度分解光電子分光実験には超高真空中で平坦かつ清浄表面をもつ試料が必要となります。しかし、Fe4Nのバルク単結晶はその3次元的な結晶構造から、真空中で平坦な表面を得ることが困難であり、これまでほとんど角度分解光電子分光実験が行われてきませんでした。そこで本研究では、物質・材料研究機構(NIMS)の磯上慎二主幹研究員と協力して、原子レベルで平坦な表面および大きな残留磁化を持つFe4N薄膜を超高真空マグネトロンスパッタ法により作成しました。薄膜試料の表面汚染を防ぐため、試料はポータブル真空輸送チャンバーによってNIMSから放射光科学研究所HiSORに大気に晒すことなく輸送し、スピン・角度分解光電子分光を行いました(図1)。これにより、平坦かつ清浄表面をもつFe4N単結晶試料での実験がはじめて可能になりました。
 その結果、Fe4Nのバルク由来のバンド構造の観測に初めて成功しました(図2)。具体的には、フェルミ準位(*7)近傍の-0.2eV付近に、フェルミ準位を横切る電子ポケットAとこれに接する放物線バンドBが観測されました(図2左上)。スピン分解測定から、電子ポケットAとそれに接する放物線バンドBのどちらも負のスピン偏極度を持っていることから、これらは少数スピン由来であると結論されます(図2右)。また、波数全体におけるスピン分解の結果、その他に観測したすべてのバンド構造が少数スピン由来であることも明らかにしました(図2左下)。

図 2: Fe4N薄膜のスピン・角度分解光電子分光の実験結果。フェルミ準位近傍の-0.2eV付近に、フェルミ準位(*5)を横切る電子ポケットAとこれに接する放物線バンドBが観測された。スピン分解測定から、電子ポケットAとそれに接する放物線バンドBのどちらも負のスピン偏極度を持っていることから、これらは少数スピン由来であると帰属できる。また、波数全体におけるスピン分解の結果、その他に観測したすべてのバンド構造が少数スピン由来であることも明らかにした。
 

今後の展開

 Fe₄Nは、理論的には極めて大きなTMR効果を示すことが予測されており、次世代MRAMや超低消費電力スピントロニクスデバイスへの応用が期待されています。今回の研究では、磁石のN極-S極の方向(磁化方向)を決めるスピンとは逆向きのスピン角運動量を持つ「少数スピン」電子が伝導を支配していることが明らかになりました。このような電子状態では、伝導電子のスピン角運動量を利用して磁化方向を制御する「スピン移行トルク(*8)」効果を効率よく利用できる可能性があります。そのため、MRAMの新しい書込技術や、次世代HDD用マイクロ波発振素子への応用が期待されます。

用語説明

*1.窒化鉄(Fe₄N)
 鉄(Fe)と窒素(N)からできた材料。電子の“磁石の性質(スピン)”を効率よく利用できる可能性があり、次世代の省エネ型メモリや電子機器への応用が期待されています。

*2.スピントロニクス
 電子が持つ「スピン(磁石の向き)」を利用する次世代電子技術。高速化や低消費電力化が期待されています。

*3.電子のスピン
電子は電荷としての性質の他に、自転することによる磁石としての性質を持っています。これは電子スピンと呼ばれ、回転方向を向きで表し上向きスピンと下向きスピンに分けられます。強磁性体(磁石)の場合、N極からS極の向きを軸として右回転する電子を上向きスピンと逆方向に回転する電子を下向きスピンの数に差が生じているため、磁力が生じています。

*4.負のスピン偏極、少数スピン
 上向き(下向き)のスピンを持つ電子の数をN↑(N↓)と書いたとき、スピン偏極度はP=(N↑-N↓)/(N↑+N↓)と定義されます。
 磁性体では、電子スピンの向きによって電子数が異なることがあります。電子数が多い向きのスピンを「多数スピン」、少ない向きのスピンを「少数スピン」と呼びます。いま、磁化の方向の反対方向を「正」にとります。通常の鉄では多数スピン電子が伝導を担い「伝導電子が正にスピン偏極」していますが、Fe₄Nでは少数スピン電子が主に伝導に関与し、負にスピン偏極すると考えられており、特異なスピントロニクス特性の起源となっています。通常はN↑(N↓)を多数スピン(少数スピン)の数とするため、特に、電気伝導を少数スピン電子だけが担う場合はP=-1(-100%)となり「伝導電子が負に100%スピン偏極」しているといいます。

*5.シンクロトロン放射光
 光の速度まで加速された電子の進行方向を磁場によって曲げると、シンクロトロン放射光と呼ばれる強い光が発生します。宇宙では星雲の中に放射光を見つけることができますが、地上では専用の加速器が必要です。シンクロトロン放射光は、人類が手に入れた最も強力な光で「夢の光」とも呼ばれます。大型放射光施設SPring-8や、国立大学法人として唯一の広島大学放射光科学研究センターHiSORなど、日本にはシンクロトロン放射光施設が多数存在し、最先端の研究が行われています。

6.スピン・角度分解光電子分光(Spin-ARPES)
 物質に光を当てると、光電効果によって物質内部の電子が放出されます。このとき、散乱を受けなかった電子はエネルギー保存則に従って物質内部の電子状態の情報を保ったまま放出されます。角度分解光電子分光は、放出された電子の運動エネルギーと放出角度を解析することで、固体内部の電子の束縛エネルギーと運動量の関係、つまりバンド分散を直接観測できる手法です。さらにスピン検出器を加えることで、電子の運動エネルギーと運動量だけでなく電子スピン(*3)も分離して観測できるため、磁性体の詳細な電子構造を調べることができます。本研究では広島大学放射光科学研究所で独自開発された低速電子線回折(VLEED)型スピン検出器を用いて測定を行なっています。

*7.フェルミ準位
 物質中で電子が占めるエネルギー状態のうち、絶対零度で電子が存在できる最も高いエネルギーをフェルミ準位と呼びます。金属では、フェルミ準位近傍の電子が主に電気伝導を担うため、電子材料の性質を理解する上で非常に重要な量です。

*8.スピン移行トルク
 スピンを持った電子が磁性体中を流れると、そのスピン角運動量が磁石の磁化方向に力(トルク)として作用し、磁化の向きを変えることがあります。この現象をスピン移行トルクと呼びます。磁場を用いずに電流だけで磁化を制御できるため、MRAMなどの低消費電力磁気デバイスへの応用が期待されています。
 

謝辞

 本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究 A「高性能積層型磁気抵抗素子の実現を目指した軟X線スピン分解ARPESによる界面バンド観測(課題番号:25H00743、研究代表者:木村昭夫)、学術変革領域研究(A) アシンメトリが彩る量子物質の可視化・設計・創出(課題番号:24H01670、26H00671研究代表者:木村昭夫)などの支援を受けて行われました。

【お問い合わせ先】

【研究に関すること】
広島大学大学院先進理工系科学研究科物理学プログラム 教授 木村 昭夫
Tel:090-6346-5384
E-mail:akiok*hiroshima-u.ac.jp

【報道に関すること】
広島大学財務・総務室総務・広報部 広報グループ 
TEL:082-424-4518 FAX:082-424-6040
E-mail:koho*office.hiroshima-u.ac.jp

(*は半角@に置き換えてください)


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