第30回 どんな場所にいても、自分の「やりたいこと」を大切に。

等身大の広大生の声を入学希望の方にお届けするコーナー『広大生、先輩インタビュー 』。第30回は、山口県華陵高等学校出身の総合科学部4年・水津 ありさ(すいづ ありさ)さんです。

センター試験後、すごく悩んだ末に広大の受験を決めたという水津さん。学部卒業を間近に控えた今、広大での4年間をどのように振り返るのでしょうか。大学で出会った人数を尋ねてみると、「そうですね…合計で軽く500人は超えると思います」とのこと!4年間でたくさんの人と出会い、繋がりができたという水津さんに、受験時の心境や、入学後の4カ国への留学体験、総合科学部で学んだことや卒業論文などについてインタビューしました。

広島大学総合科学部を受験しようと思ったきっかけを教えてください。

大学に行って何がしたいかを考えたら、もっと英語を勉強して、国際交流とか留学ができたらいいなっていうのがあって。実は、広大の受験を決めたのは、センター試験が終わった後だったんです。もともとは他の国立大学が第1志望だったんですけど、センター試験の点が足りなくて…。塾の先生から「広大の総合科学部だったら、外国語系の授業を柔軟に取れるし、やりたいことが自由にやれるんじゃないか」って薦めてもらったのがきっかけでした。広大の受験はリスクが高かったので、出願の時はすごく迷ったんですけどね…。

悩んだ末の出願だったんですね。その時の心境を聞かせてください。

安全圏で行くか、リスクを冒してでも自分が行きたいところに行くか―。センターが終わってから一週間ぐらいずっと悩んでましたね…家族会議も開かれて(笑)。私の性格的に、行きたくないところに無理して行くより、行きたいところに挑戦してみてダメだったら浪人…の方が後悔しないんじゃないかって思って、後期で広大を受験することに決めました。

「すごく悩んだけれど、家族にも背中を押してもらって受験を決めた」と当時を振り返る水津さん

「すごく悩んだけれど、家族にも背中を押してもらって受験を決めた」と当時を振り返る水津さん

留学や国際交流に興味を持つようになったきっかけは?

私の出身高校は英語教育に力を入れていて、ホームステイプログラムがあったり、海外から留学生が来たりとか、国際交流の機会は割と多かったんです。私もすごく興味があったんですけど、当時は部活が忙しすぎて、そういう環境にいながらもほとんど参加できなかったので。だからなおさら「大学に行ったら」って思っていました。

高校の時は部活一筋だったんですね。何部に所属していましたか?

バドミントン部です。バドミントンは小学校の時からずっと続けていて、高校ではインターハイにも行きました。

高校時代の水津さん。インターハイの予選前に、バドミントン部の仲間たちと

高校時代の水津さん。インハイの予選前に、バドミントン部の仲間たちと

インターハイ出場!すごいですね。では、大学受験の勉強は…いつ頃から??

高3の7月に部活を引退して、そこから進学塾に行き始めて本格的に受験勉強をスタートしました。はじめは公立大学しか考えてなかったんですけど、8月に国立大学のオープンキャンパスに行ったら、「国立大学も良いな」って。そこで初めてセンター試験5教科7科目の勉強に取りかかりました。なので、全然受験生のお手本になれるような感じじゃないんです(笑)。

センター試験は科目数が多くて、バランス良く勉強するのが大変ですよね。どのようなスタイルで進めていましたか?

全教科まんべんなく、今日はこの問題を解く、この範囲を覚える、みたいな目標を1日の最初に決めていました。1日の終わりに達成状況を見て、できなかったところは次の日に多めにしよう…とか調整していましたね。数学とか苦手だし本当はやりたくないんですよ(笑)でも、得意なのばっかりとか苦手なのばっかりとか、科目が偏らないように心がけていました。

それでは、センター試験後~二次試験まではどのように過ごしていましたか?

科目は前期も後期も英語だけだったので、毎日過去問を数年分解いて、高校の英語の先生に添削してもらっていました。先生がすごく親身になってくれて、「見てあげるから勉強しにおいでよ」って声をかけてくれたので、自由登校になってからも毎日高校に行って自習していましたね。他の先生たちも、たまに様子を見に来てしゃべってくれたり、私が登校する前に教室にストーブをつけて準備していてくれて。本当に先生たちのおかげで合格できたと思っています。

「直接聞いて教えてもらうのが一番分かりやすい」と水津さん

「直接聞いて教えてもらうのが一番分かりやすい」と水津さん

受験勉強中、気分転換したい時はどうしていましたか?

お母さんとコンビニスイーツ巡りをして、甘いものを食べてリフレッシュしていました。バドミントンもしたかったんですけど、「合格するまで我慢!」って(笑)。それから、周りの友達はみんな推薦やAOで早々に進路が決まっていたんですけど、「ありさはずっと頑張ってきたんだから絶対大丈夫!」って励ましてくれたり、寄せ書きをプレゼントしてくれたり。その気持ちが本当に嬉しくて。友達、家族、先生…自分には応援してくれてる人がいるって思うだけで、頑張る力になりました。
 

受験生活を支えてくれた、先生や友人たちにもらった応援グッズ

次は入学後の話を聞かせてください。まずは、やりたかった国際交流や留学はできましたか?

はい!まず1年生の春休みに大学のSTARTプログラムに参加して、オーストラリアで2週間ホームステイしました。当時の私は全然英語がしゃべれなかったので、その時はとりあえずホストファミリーとのおしゃべりを聞いて理解するだけで精いっぱいだったんですけど、すごく良くしてもらって楽しかったです。当時お世話になったホストファミリーとは、今も連絡を取り合ってます。

その後も、学内のプログラムで台湾、スペイン、フィリピンにそれぞれ短期留学しました。フィリピンには、私費で語学学校に2週間行ったりもしましたよ。

いろいろな国に行きましたね!印象的だった出来事は?

現地の人は、文化や習慣の違いというか、日本人と時間の感覚とかも全然違っていましたね。フィリピンでは、「オープンカーに乗るよ」と言われてついて行ったら、トラックの荷台に固定されてない椅子を乗せただけの「オープンカー」だったり(笑)落ちないように必死でした…。留学中に一緒に過ごした仲間たちは、戦友というか、本当にかけがえのない存在です。メンバーの中にはもう大学を卒業した先輩もいるんですけど、今でも会って一緒にご飯を食べたり、交流が続いています。先日は、3年前に「台湾ショートビジット」というプログラムで出会ったメンバーと京都旅行に行きました。

オープンカーの上での1枚。「約2時間揺られて移動したのは、忘れられない思い出」とのこと

オープンカーの上での1枚。「約2時間揺られて移動したのは、忘れられない思い出」とのこと

総合科学部での授業はいかがですか?

文系・理系の枠を超えて、本当に幅広く色々な科目が取れて面白いんですよ。1年生の時は自分が興味を持った授業を気軽に取れるので、私は言語学系の授業はもちろん、スポーツ心理学系とか、自然環境系とか地学系とかにもチャレンジしました。1年生の終わり頃に自分のメインとなる授業科目群を選択できるので、私は英語を言語学として学べる「言語コミュニケーション授業科目群」を選択しました。
 

言語コミュニケーションの友人たちと行った水尻の海

言語コミュニケーションの友人たちと 

水津さんは、英語の教員免許も取られたそうですね。

はい。それは、受験の時に親身になってくれた高校の先生の影響がすごく大きくて。先生みたいに、生徒が夢や目標に向かって頑張っているのを自分のことのように考えて。生徒のために惜しみなく自分も頑張れるってすごいなと思ったので。それまで教職とか全く興味がなかったんですけど、大学に行ったら教員免許を取ろうって、受験の時に思いました。

教える時に苦労したのが、生徒自身が英語を話す時間をしっかり作ること。実は、今の英語の授業の多くは生徒ではなく先生が英語を話している時間の方が長いんです。 私は研究室で第二言語習得論をやっているんですけど、自分が英語の教職を取っているのもあって、「教室の中での英語学習」って分野が一番関心が強くて。卒業論文にもこのテーマを選びました。

教育実習の経験が卒業論文にも繋がっているんですね。どんなテーマか、詳しく聞かせてください。

外国語(英語)の授業で見られる、生徒の「沈黙」に注目した研究です。これは、特にアジア人は欧米人と比べると教室で静かになりやすい傾向にあるっていう、先行研究を土台にしているんです。私の卒業論文では、日本人の英語学習者(生徒)は、教える側(先生)がネイティブの場合と日本人の場合で、何か沈黙に違いがあるのか?という点に着目しました。実際に広大の授業にお邪魔して観察させてもらったり、アンケートに答えてもらったりして比較を行いました。

卒論の土台となった先行研究のページをめくる水津さん。「全部英語で書かれているので、読むだけで大変でした」

卒論の土台となった先行研究のページをめくる水津さん。

「全部英語で書かれているので、読むだけで大変でした」

すごく興味深いですね。日本人の沈黙の理由って、例えばどういうものが考えられるんでしょうか。

ネイティブの先生だったら授業中に英語しか使わないから、内容理解に自信が持てなくて黙ってる、とか。日本人の先生だったら、お互い日本人同士だから、暗黙の了解とか文化的な影響もあるのかな、とか。発言することで先生の授業の流れを邪魔したくないとか、周りより目立っちゃうことを良しとしないとか、いろいろな原因が考えられるんですよ。

いよいよ学部生活も終盤ですね。今後の目標や将来の夢について聞かせてください。

将来は、何らかの形で『教育』に携わりたい!と思っているんですが、具体的にどうするかはまだ決まっていません。もちろん英語の先生も選択肢の1つですが、最近、教員養成という、「先生になる人」を育てたりサポートしたりする立場もあるよって教えてもらって。学部を卒業したら、広島大学の国際協力研究科(大学院)に進学します。研究室は教師教育が専門です。学部の時は行けなかった長期の留学もできたらと思っています。まだ時間はあるので、まずは大学院に行って、ゆっくり将来のことを考えて行きたいですね。

ところで、バドミントンは大学に入ってからも続けているんですか?

はい、あいかわらずバドミントン大好きなので。大学では、“シャトルズ”っていう60人ぐらいのサークルに入っています。練習は週2回あるんですが、行けるときだけで参加すればよいので、自由で良いですよ。男女問わず、色々な人とダブルスを組んで楽しくやっています!
 

「『楽しく』と思いつつも、試合中はやっぱり力が入る」と話す水津さん 

「『楽しく』と思いつつも、試合中はやっぱり力が入る」と話す水津さん 

学部の友達や留学・サークル仲間など、とにかく出会いが多い大学生活を送っていますね。4年間で出会った人数は大体何人ぐらいですか? 

そうですね…。サークルやバイトも含めたら合計で軽く500人は超えると思います!私は、あまり先を見据えて考えるのではなく、自分が「今やりたい」って思ったことをそのままやるタイプ。振り返ってみれば、自分のやりたいようにいろいろな方向にやってみたことで、たくさんの人と出会い、繋がってこれたのかなって思います。

最後に、未来の広大生に向けてメッセージをお願いします!

ある人にもらった言葉の受け売りになるんですけど、「『どんな環境に身を置くか』より、『自分がそこで何をするか』の方が大事」だと思っています!私も、結果的には高校生の時には想像もしてなかった場所にいるんですけど…。でも、広大に来てみたらすごく楽しかったし、「やりたかったこと」もいっぱいできました。ここに来たからこそ出会えた人や、できるようになったこともたくさん。今は迷いなく、「広大に来て本当に良かった!」って言えます。

志望校で悩んだり、自分の思ったとおりの進路には進めないこともあると思うんですけど、それを“失敗”とはとらえて欲しくないと思います。どんな場所にいても、自分の中にある「これ好きだな」「これがやりたい」っていう気持ちを大事にしてあげてくださいね!

2016年12月22日 記事・写真/広報グループ(Y、i)
取材場所/総合科学部談話室


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