広島大学原爆放射線医科学研究所 放射線災害医療開発研究分野の島本和美大学院生、谷本圭司講師、廣橋伸之教授、大学共同利用機関法人情報・システム研究機構データサイエンス共同利用基盤施設ライフサイエンス統合データベースセンターの坊農秀雅特任准教授、小野浩雅特任助教、順天堂大学大学院 江口英孝准教授らの研究グループは、低酸素環境(※1)において活性化して、がん細胞の遊走・浸潤(※2)を促進し、放射線抵抗性を促進する分子GLIS1を発見しました。低酸素環境にあるがん細胞では、GLIS1量が増えて、様々な遺伝子発現量(※3)の調節を行うことが明らかとなり、特にWNT5Aというがん細胞の浸潤を促進することが知られている遺伝子を調節することにより、がん細胞の浸潤能力を高めていることを確認しました。また、遺伝子発現データベースとがん患者予後の解析ウェブツールKaplan-Meier Plotter(※4)により、乳がん患者の中でも、特にホルモン療法(※5)が効かない進行乳がん患者において、GLIS1発現量の高いがん患者の予後が明らかに悪いことが明らかとなり、実験的にもGLIS1量を減らすことにより、がん細胞の浸潤を抑制することに成功しました。さらに、正常組織における遺伝子発現の大規模測定データベースの比較ウェブツールRefEx(※6)にて、低酸素環境で働く他の転写因子(※7)に比べて、GLIS1は特に正常細胞における発現量が少ない事が明らかとなり、副作用の少ないがん治療標的となり得る可能性が示されました。
研究グループでは、今回の研究成果をもとに、低酸素がんの克服にむけたGLIS1の機能を調節する薬剤開発研究を計画しており、治療法の確定していない進行乳がんなどに対する治療法開発への応用が期待されます。
本研究成果は、英国のオックスフォード大学出版局科学誌「Carcinogenesis」に掲載されました。
(注1) 低酸素環境
酸素濃度が少ない環境のこと。通常の大気中の酸素濃度はおよそ21%ですが、高い山などに登ると高度が増すごとにその酸素濃度は減ります。また、生体内の酸素濃度は平均5-7%程度といわれ、比較的低酸素であると考えられています。多くの固形がん病巣では、がん細胞の増殖速度が速く、作られる血管が間に合わない、または機能不良な血管ができることにより、酸素供給が足りなくなり、低酸素になっている事が知られています。また、この低酸素環境は、がん細胞を、より立ち振る舞いの悪いがん細胞に変化させ、予後を悪くすることも知られています。
(注2) がん細胞の遊走・浸潤
がん細胞の特徴のひとつが、周辺組織へ侵入(浸潤)して、血管やリンパ管を介して離れた臓器へ転移することです。がん細胞の遊走・浸潤能はこれら転移する能力を表していると考えられています。
(注3) 遺伝子発現量
DNAの一部の遺伝情報が読み出された(転写された)RNAの量のこと。DNA上に存在する遺伝子(遺伝情報)は、読み出されてRNAとなり、RNAは翻訳されてタンパク質になって実際に働きますが、そのタンパク質の量的な調節にRNA量(遺伝子発現量)は重要な役割をはたします。
(注4) 遺伝子発現データベースとがん患者予後の解析ウェブツールKaplan-Meier Plotter
21種類のがんについての予後情報と54,000遺伝子の発現量データベース解析ウェブツール。様々な遺伝子の発現量とがん患者臨床情報を比較することにより、遺伝子のがん患者の生存期間への寄与が検討できる。
(注5) ホルモン療法
ホルモンに依存して増殖する乳がんに対して、女性ホルモンが働かないように阻害する治療法であり、現在、乳がんの重要な標準治療法のひとつです。抗ホルモン療法、内分泌療法ともいう。
(注6) 正常組織における遺伝子発現の大規模測定データベースの比較ウェブツールRefEx
遺伝子発現解析の基準となる正常組織や細胞などの大規模測定データを集め、並列に比較できるように整理し、それらを閲覧できるウェブツール。様々な遺伝子がどのような臓器や細胞でどれくらい発現しているかを比較検討できる。
(注7) 転写調節因子
遺伝子の読み出し量(RNA量)を調節するタンパク質のこと。