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【研究成果】胃潰瘍治療薬やタバコの煙から抽出した物質に意外な効果~新型コロナウイルスのヒト細胞への感染を抑制~

本研究成果のポイント

  • 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)がヒトに感染する際に利用する受容体の構成蛋白質の一つACE2量が芳香族炭化水容体(AHR)を介して低下する機構を明らかにしました。
  •  AHRを活性化する様々な化合物(薬)によるACE2発現抑制を確認しました。それら化合物の中で、食物などに含まれるトリプトファン代謝物や既存の胃潰瘍治療薬による細胞への新型コロナウイルス感染抑制効果を確認しました。
  • 新型コロナウイルス感染症治療への応用が期待されます。

概要

 国立大学法人広島大学原爆放射線医科学研究所の谷本圭司准教授、大学院医系科学研究科の坂口剛正教授、大学院統合生命科学研究科の坊農秀雅特任教授、学校法人関西医科大学附属生命医学研究所の廣田喜一学長特命教授、松尾禎之講師らの研究グループは、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)がヒトに感染する際に利用する受容体の構成タンパク質の一つACE2量(注1)が低下する機構およびその機構に関与する化合物(薬)を明らかにしました。一般的にタバコ煙成分は新型コロナウイルス感染症の病態を悪化させると考えられますが、タバコ煙中の一成分には逆の作用があることが明らかになりました。タバコ煙成分をヒト細胞に処理する実験により、ACE2発現を抑制することを示しました。網羅的な遺伝子発現解析(注2)から、タバコ煙成分は芳香族炭化水素受容体(AHR)(注3)の活性化を通じてACE2発現を抑制している可能性が示唆され、実験的にも証明しました。さらに、AHRを活性化する化合物の中で、食物などに含まれるトリプトファンの代謝物(注4)や既存の胃潰瘍治療薬であるプロトンポンプ阻害薬(注5)により、ACE2発現量が抑制されることを明らかにし、細胞への新型コロナウイルス感染を阻害することを細胞感染モデルで証明しました。
 研究グループでは、今回の研究成果をもとに、安全な治療薬による新型コロナウイルス感染阻害薬(治療薬)開発に応用したいと期待しています。

本研究成果は、英国時間で8月17日にSpringer Nature社の科学誌「Scientific Reports」に掲載されました。

発表内容

【背景】

2019年末に中国・武漢を発端とする新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染症(COVID-19)が広がり、2020年当初から第一波、第二波、第三波、第四波と感染拡大の波に襲われ、現在は猛烈な勢いでデルタ変異株の猛威(第五波)に晒されています。現在、先進国ではワクチン接種が進み、感染拡大を抑えこもうとしている状況ですが、一方で、日本を含む先進国の一部や発展途上国では、ワクチン確保、接種がすすんでおらず、効果的で安全な治療薬の開発は急務であります。
新型コロナウイルス感染症の病態に、喫煙が悪影響を与えていることは多くの疫学調査から示唆されています。一方、驚くことに、新型コロナ感染者に喫煙者が少ない、または、喫煙者の新型コロナウイルス陽性者が少ないという報告が英、米、仏などの研究グループから複数報告されています(1-4)。しかしながら、新型コロナウイルスの感染受容体となるACE2(アンギオテンシン転換酵素2)の発現量が、喫煙マウスやヒトで高いことを示し、喫煙者の感染リスクは高い可能性があるという報告(5)もあり、喫煙が新型コロナウイルス感染に与える影響は明らかではありませんでした。
研究グループは、これまで様々なストレスがゲノム遺伝子発現に与える影響、その機構、そして疾患との関わりについて継続的に研究してきました。今回、タバコ煙成分が新型コロナウイルス感染受容体ACE2発現量に与える影響を明らかにする試みから、治療薬の開発研究に取り組みました。

参考文献
1.Rentsch, C.T., et al. Covid-19 Testing Hospital Admission, and Intensive Care Among 2,026,227 United States Veterans Aged 54-75 Years. medRxiv. https://doi.org/10.1101/2020.04.09.20059964 (2020).
2.Miyara, M., et al. Low rate of daily active tobacco smoking in patients with symptomatic COVID-19. Qeios. Preprint at https://doi.org/10.32388/WPP19W.4 (2020).
3.de Lusignan, S., et al. Risk factors for SARS-CoV-2 among patients in the Oxford Royal College of General Practitioners Research and Surveillance Centre primary care network: a cross-sectional study. Lancet Infec. Dis. 20, 1034-1042 (2020).
4.Williamson, E.J., et al. Factors associated with COVID-19-related death using OpenSAFELY. Nature 584, 430-436 (2020).
5.Smith, J.C., et al. Cigarette Smoke Exposure and Inflammatory Signaling Increase the Expression of the SARS-CoV-2 Receptor ACE2 in the Respiratory Tract. Dev. Cell 53, 514-529 (2020).

【研究成果の内容】                             

一般的にタバコ煙成分は新型コロナウイルス感染症の病態悪化を促進すると考えられますが、ウイルス受容体の構成蛋白質の一つACE2発現量にどのような影響を及ぼすか不明でした。そこで最初に、タバコ煙成分をヒト細胞に処理して、ACE2遺伝子発現量の変化を観察しました。その結果、驚いたことにタバコ煙成分はその濃度依存的にACE2発現を抑制することが明らかとなりました。次に、細胞の中でどのようなことが起こっているのか明らかにするために、次世代シーケンサーを用いたRNA-seq(※6)という方法で網羅的に遺伝子発現量の変化を観察したところ、タバコ煙成分は芳香族炭化水素受容体の活性化を通じてACE2発現を抑制している可能性が示唆されました。芳香族炭化水素受容体を様々な方法で活性化させたり抑制したりする実験により、芳香族炭化水素受容体の活性化を通じてACE2発現量が抑制されることを確かめました。さらに、芳香族炭化水素受容体を活性化する化合物の中で、食物などに含まれるトリプトファンの代謝物や既に薬として使用されている胃潰瘍治療薬であるプロトンポンプ阻害薬により、ACE2発現量が一過性に抑制されることを明らかにしました。そして、これらの化合物を用いて、新型コロナウイルスが細胞に感染する(細胞に侵入する)量が抑制できることをVERO細胞(※7)を用いた細胞感染モデルで証明しました。
今回の研究では、食物(サプリメントなど)などに含まれている成分(トリプトファン代謝物)や長らくヒト臨床に用いられていて安全性が確認されている胃潰瘍治療薬などが応用できる可能性を示すことできました。また、ウイルスそのものではなく細胞側に存在するウイルス受容体を標的とすることから、現在問題となっているウイルス変異に依存しない(影響を受けにくい)点など、臨床応用に向けた優位性も考えられます。一方、抗ウイルス薬ではないため、感染量を減じることができても、感染してしまったウイルスの増幅を阻害することはできない点など問題点も考えられます。それらを踏まえて、より効果的な類似化合物の探索や抗ウイルス薬との併用療法を検討することが重要と考えられます。新しい治療・予防法のオプション開発への展開が期待されます。

【今後の展開】                             

 現在、多くの新型コロナウイルス感染阻害薬の開発が行われていますが、既存の抗ウイルス薬やその他の既存薬の応用成功例はまだありません。また、ウイルスタンパク、感染受容体ACE2や膜融合活性化酵素TMPRSSS2(※8)に対する新薬開発も行われていますが、安全性や効果の評価には相当な時間を要すると思われます。一方、今回の研究では、既存薬などを応用しており、安全性の点で優位性があると思われます。
まずは動物実験モデルなどを用いた評価を経て、臨床研究での効果評価へと進めることが期待されます。既存の抗ウイルス薬との併用などの治療法検討も考えられ、現在のワクチン接種や抗体カクテル療法などの間を埋める治療法へと応用されることが期待されます。

図1:タバコ煙成分のウイルス受容体ACE2遺伝子発現抑制作用

タバコ煙成分を抽出し、ヒト細胞の培養液に加えていくと、その濃度依存的にACE2遺伝子発現量が低下しました(赤い矢印)。定量的RT-PCR法にて測定。

図2:芳香族炭化水素受容体(AHR)を活性化する化合物のウイルス受容体ACE2遺伝子発現抑制作用

AHRを活性化する化合物(トリプトファン代謝物または胃潰瘍治療薬)をヒト細胞の培養液に加えていくと、その濃度依存的にACE2遺伝子発現量が低下しました(赤い矢印)。定量的RT-PCR法にて測定。

 

 

図3:AHRを活性化する化合物による新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染阻害作用

AHRを活性化する化合物(トリプトファン代謝物または胃潰瘍治療薬)をヒト細胞の培養液に加えた状態で新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)を感染させた後、細胞内に入り込んだ(感染した)ウイルス量を比較しました(代表例を示します)。ウイルス量はSARS-CoV-2由来のたんぱく質の量をウエスタンブロッティング法により検出しました。赤枠内は同じ処理を行なった実験で、右にいくほど処理された化合物の濃度が高くなっており、黒いバンドが薄くなっている(ウイルスタンパクが減っている)、すなわち化合物の濃度依存的に感染ウイルス量が低下しました(それらを棒グラフにしたものが右図)。

 

図4:まとめの概念図

 今回、タバコ煙成分が細胞の芳香族炭化水素受容体を活性化してウイルス受容体であるACE2発現(量)を抑制することを見出しました。さらに、タバコ以外で芳香族炭化水素受容体を活性化することが知られていて比較的安全性の確認されているトリプトファン代謝物や胃潰瘍治療薬でも、同様にACE2発現(量)を抑制することを確認しました。その結果、これら化合物(薬)によるウイルス受容体量の減少が感染するウイルス量を減らすことも明らかになり、新型コロナウイルス治療薬としての可能性が示されました。

用語解説

(※1)ACE2量
Angiotensin-converting enzyme 2(アンギオテンシン変換酵素2)の略称。細胞の膜に存在する膜タンパク質の一つ。新型コロナウイルスSARS-CoV-2のスパイクタンパク質は宿主のACE2に結合し感染が促進されるため、ウイルスの受容体として機能しており、受容体の量はウイルス感染に大きく影響を及ぼすと考えられる。ACE2発現やACE2発現量も同様の意味を示す。

(※2)網羅的遺伝子発現解析
DNAの一部の遺伝情報が読み出された(転写された)RNA量を網羅的に測定すること。DNA上に存在する遺伝子(遺伝情報)は、読み出されてRNAとなり、RNAは翻訳されてタンパク質になって実際に働くが、そのタンパク質の量的な調節にRNA量(遺伝子発現量)は重要な役割をはたす。その遺伝子発現量を各遺伝子ではなく一度に数千から数万測定する方法としてマイクロアレイ法やRNA-seqなどがある。

(※3)芳香族炭化水素受容体(AHR)
AHRはAryl Hydrocarbon Receptorの略称。様々なアリール炭化水素(=多環芳香族炭化水素)などを リガンドとして結合するタンパク質。リガンドが結合することで活性化し、特定の遺伝子の発現を誘導することが知られている。AHRはダイオキシン類と結合することから、ダイオキシン受容体とも知られている。生体内の様々な物質と結合して生理的な作用を示すことも知られている。

(※4)トリプトファンの代謝物
必須アミノ酸の一つ。側鎖にインドール環を持ち、芳香族アミノ酸に分類される。ナイアシンの体内活性物質であるNAD(H)、セロトニン・メラトニンといったホルモン、キヌレニン等生体色素、また植物において重要な成長ホルモンであるインドール酢酸の前駆体、インドールアルカロイド(トリプタミン類)などの前駆体として重要である。トリプトファンはその代謝物とともに、脳の健康や心血管代謝調節などさまざまな生理機能に重要な働きを果たしている。

(※5)胃潰瘍治療薬であるプロトンポンプ阻害薬
胃潰瘍などの消化性潰瘍の治療薬は様々存在するが、その内の一つがプロトンポンプ阻害薬である。胃壁細胞のプロトンポンプ(水素イオン,プロトンを能動輸送し、生体膜の内外に膜電位勾配を作り出す機能)に作用し、胃酸の分泌を抑制する薬。

(※6)次世代シーケンサーを用いたRNA-seq
次世代シーケンサーはラン当たり何億ものフラグメントを同時に大量にシーケンス(配列決定)できる。このハイスループットのプロセスにより、数千から数万もの遺伝子を一度にシーケンスできる。RNAのフラグメントをシークエンスする方法をRNA-seqと言い、読み込まれたRNAフラグメント量を遺伝子発現量に換算し、一度に大量の遺伝子発現量を測定することができる。

(※7)VERO細胞
アフリカミドリザルの摘出腎臓から樹立された培養細胞株。VERO細胞は、多様なウイルスの増殖性がよく、ウイルス研究やウイルスワクチン生産にも汎用される。

(※8)TMPRSS2
Transmembrane protease serine 2の略称。細胞膜に存在するセリンプロテアーゼのこと。新型コロナウイルスSARS-CoV-2のスパイクタンパク質は宿主の受容体(ACE2)に結合後、TMPRSS2によるタンパク質分解を受けることにより膜融合を促進し,ウイルスが細胞内に侵入(感染)する。

論文情報

  • 掲載誌: Scientific Reports
  • 論文タイトル: Inhibiting SARS-CoV-2 infection in vitro by suppressing its receptor, angiotensin-converting enzyme 2, via aryl-hydrocarbon receptor signal.
  • 著者名: Keiji Tanimoto*, Kiichi Hirota, Takahiro Fukazawa, Yoshiyuki Matsuo, Toshihito Nomura, Nazmul Tanuza, Nobuyuki Hirohashi, Hidemasa Bono, Takemasa Sakaguchi
    *責任著者
  • DOI: https://doi.org/10.1038/s41598-021-96109-w
【お問い合わせ先】

<研究に関すること>
広島大学原爆放射線医科学研究所
准教授 谷本 圭司
TEL:082-257-5841 
FAX:082-256-7105
E-mail:ktanimo*hiroshima-u.ac.jp

<報道(広報)に関すること>
広島大学広報グループ
〒739-8511 東広島市鏡山1-3-2
TEL:082-424-3701
FAX:082-424-6040
E-mail : koho*office.hiroshima-u.ac.jp

(注: *は半角@に置き換えてください)


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