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【研究成果】遺伝子組換え体のバイオセーフティ技術の効果を高めることに成功〜変異に対する抵抗性を高め、さらに安全な利用に貢献~

本研究成果のポイント

  • 研究グループは、遺伝子組換え微生物を安全に利用するためのバイオセーフティ技術として亜リン酸注 1)依存性による生物学的封じ込め技術をこれまでに開発していました。この技術は、天然にはほとんど存在しない「亜リン酸」という物質に、遺伝子組換え微生物の増殖を依存させるもので、高い安全性と実用性を兼ね備えています。 
  • 今回の研究で、亜リン酸依存性による封じ込め技術の潜在的な弱点が亜リン酸を取り込む輸送体タンパク質の特定のアミノ酸に存在することを明らかにしました。 
  • この輸送体タンパク質の詳細な解析を行い、変異に対する抵抗性を高めるアミノ酸に置換することで、弱点を克服することに成功しました。この発見は、亜リン酸を利用したバイオセーフティ技術の安全性レベルをさらに高めるとともに、亜リン酸輸送体の輸送メカニズムに関する新たな知見をもたらしました。

概要

 広島大学大学院統合生命科学研究科の廣田隆一准教授、東京農業大学バイオサイエンス学科 の渡辺智准教授らの研究グループは、遺伝子組換え微生物の増殖を制限し、亜リン酸に厳密に 依存させるバイオセーフティ技術(生物学的封じ込め技術注2))の安全性をさらに高めることに 成功しました。
 現在、遺伝子工学の急速な発展によって、高度に分子育種された遺伝子組換えやゲノム編集 微生物の開発が可能になっています。このような分子育種された微生物は、食糧・エネルギー・ 環境問題など、現在の地球規模の様々な問題を解決できる可能性を秘めています。しかし、遺 伝子組換え微生物の屋外開放条件での利用は、組換え体の生物多様性へ与える影響が懸念され るため利用が厳しく制限されており、安全な利用法の開発が求められています。
 廣田准教授らはこれまでに、亜リン酸というリン化合物に組換え体の増殖を完全に依存させ、 特定の条件下にのみ“封じ込める”バイオセーフティ技術を開発していました。この方法は、非 常に高い効果をもたらすだけでなく、大規模な培養にも対応できる経済性も兼ね備えています。 そのため、なかなか社会実装が進まない組換え微生物の屋外利用の現状に風穴を開ける技術と して期待されています。
 バイオセーフティ技術は様々な条件で安定してその性能を発揮することが重要です。今回の 研究では、様々な条件下での試験を行い、高濃度のリン酸と亜リン酸が共存するという特殊な 条件下では、封じ込めから逃れることができる変異株(エスケープ変異株注3)が出現すること が確認されました。この変異株は増殖能力が野生株よりも大きく劣るものの、その発生を抑え ることが望まれます。興味深いことに、この変異は亜リン酸輸送体のある特定のアミノ酸に必 ず起こることが判明し、そのアミノ酸に対する突然変異が起こりにくくするアミノ酸置換を施 したところ、エスケープ変異株の発生を完全に抑えることに成功しました。今後、遺伝子組換 え微生物は医療、農業、環境・エネルギー分野など従来使用されていなかった新しい産業分野 に展開されることが予想されますが、本成果を、このような利用を想定した組換え株やゲノム 編集株に適用することで、生物多様性に配慮した組換え微生物等の安全な運用を可能にするこ とが期待されます。
 本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 先端的低炭素化技術開発 (ALCA)(JPMJAL1608)、JSPS 科研費(16H04899, 16K14889, 22H02243)の 一環で行われました。 
 本研究成果は、米国時間の2022年 10 月 7 日(日本時間:2022年 10 月 7 日)に米 国科学誌「ACS Synthetic Biology」のオンライン速報版で公開されました。

【研究の背景と経緯】
 近年、遺伝子工学技術の発展を背景に、遺伝子組換え微生物を安全に利用するためのバイオセーフティ技術への注目が高まっています。バイオセーフティ技術には様々ありますが、組換え微生物の屋外開放利用において有効なものとして、“生物学的封じ込め”があります。この技術は、ある限定された条件でのみ組換え体が生存できるように、宿主となる微生物にあらかじめ遺伝的なプログラムを施しておくというものです。これにより、封じ込められた組換え体が自然環境中では増殖できないようにしておくことで、仮に培養系外へ漏出しても生態系への影響を最小限に留めることができます。これまでに研究グループでは、宿主生物のリンの代謝経路を改変することによって、亜リン酸(H3PO3)だけしかリン源として利用できない性質を大腸菌や藍藻など種類の異なる複数の微生物に付与する技術を開発していました。この方法は既存の生物学的封じ込め技術の中で最も効果が高く、さらに亜リン酸の価格は非常に安価であることから、高い安全性と経済性を兼ね備えた実用的な手法として期待されています。しかし、封じ込めの効果は様々な条件で安定して発揮する必要があり、本手法が実用化される前に詳細な調査を行うことが求められていました。

【研究の内容】
 今回の研究では、リン酸と亜リン酸が共存する様々な濃度条件下で亜リン酸依存性を付与した大腸菌株を培養し、本来利用できないはずのリン酸(H3PO4)を利用できるようになる変異株、すなわち封じ込めから逃れる「エスケープ変異株」の出現を調べました。その結果、培地中に亜リ
ン酸が存在し、かつリン酸濃度が 0.5 mM 以上である条件では二週間以上経過すると約 20 億匹分の 1 の頻度でエスケープ変異株が出現することが明らかになりました。この頻度は一般的な生物学的封じ込め技術よりもかなり低く、また、出現した変異株のリン酸取り込み能力は野生株に比べると大幅に低下していたため、そのリスクは限定的と考えられました。しかし、バイオセーフティ技術としてはできる限りエスケープ変異株の出現を抑えることが望ましいため、この抑制に取り組みました。 
 エスケープ変異株は突然変異によってなんらかの遺伝子に変異が起こっていることが考えられたため、エスケープ変異株の全ゲノムシークエンス解析を行いました。独立して得られた複数の変異株について調べた結果、興味深いことにどの株にも同じ部分への変異が起こっていました。この変異部分は、亜リン酸を取り込む輸送体タンパク質(HtxBCDE)の輸送孔を形成する HtxCの 210 番目のフェニルアラニン残基(HtxC F210)で、変異株ではこれがセリンまたはシステイン残基に変化する遺伝子変異が起こっていました。つまり、亜リン酸のみを輸送する HtxBCDEの物質を認識する能力(基質特異性)がこのアミノ酸置換によって変化し、構造的に類似しているリン酸(H3PO4)も取り込めるようになり、結果として亜リン酸依存性株がリン酸を利用して増殖できるようになったことがわかりました。 
 一方、HtxC F210 をセリンやシステイン以外の他のアミノ酸と入れ替えて取り込み能力の変化を調べると、HtxBCDE 輸送体の基質特異性が様々に変化することから、この残基は輸送物質の構造を認識する重要な残基、すなわち門番(ゲートキーパー)残基としての役割がある重要な
アミノ酸であることが明らかになりました。この発見を踏まえ、エスケープ変異株が出現しにくくなるような改良方法を考えました。具体的には、HtxC F210 をコードするコドン注4が単一のDNA 変異でシステインやセリンなどリン酸利用型のアミノ酸に変化するのではなく 2 つ以上の
変異を必要とし、かつ、亜リン酸特異性を維持できるアミノ酸を指定するコドンが存在しないかを探索しました。その結果、イソロイシンをコードする AUA、もしくはメチオニンをコードするAUG がこの要件を満たすことがわかりました。そこで、HtxC の F210 のコドンをこの両者にそ
れぞれ置換した変異体を作出し、これらを用いて再度亜リン酸依存性封じ込め株を作製しました。
その結果、この改良した封じ込め株は、3 週間経っても上記の亜リン酸と高濃度リン酸が混在する条件下においてエスケープ変異株を生じず、元株と同様の高い封じ込め効果を発揮していることが確認されました。 
 バイオセーフティ技術において、封じ込めから逃れるエスケープ変異株の発生は可能な限り低いレベルに留めておくことが重要です。また、どのような条件下で効果が持続できるか、あるいはその弱点がどこにあるのかを把握しておくこともリスク管理の観点から極めて重要です。今回
の研究成果では亜リン酸依存性による封じ込め技術の弱点が見出されたものの、その原因を明確にし、さらにその発見にもとづいて変異に対する抵抗性を付与することに成功しました。また、今回のケースのように変異に対する頑強性を付与する方法は、他のバイオセーフティ技術などで
も変異の抑制にも効果を発揮できると考えられます。  

【今後の展開】
 現在、組換え微生物やゲノム編集微生物の産業利用は物理的に封じ込められた閉鎖的な環境のみに限られていますが、医療、農業、環境・エネルギー分野など、開放的な環境における利用が想定されはじめています。しかし、このような組換え体やゲノム編集体をそのまま屋外で使うこと
は生物多様性への影響のリスクが高く、安全性を担保するバイオセーフティ技術が同時に搭載される必要があると考えられています。本研究によって、生物学的封じ込め技術の安全性レベルを高めることに成功しましたが、今後は実際の環境における変異体の出現の可能性や生存率の変化、
土着の生物に対する影響など、多角的な評価による安全性の検証実験が必要となります。また、微生物(バクテリア)特有の特徴として、外部の遺伝子を取り込む能力があるため、そのリスクも調査する必要があります。本技術の安全性と精度を高め、適用微生物種の範囲をさらに拡張する
ことにより、屋外利用を想定した遺伝子組換え微生物やゲノム編集微生物の社会実装を促進し、バイオ産業基盤の拡張に貢献することが期待されます。

図 1:本研究の概要 
亜リン酸依存性株(白色微生物)はリン源として亜リン酸しか利用できないため、環境中では生育できない。今回の研究で高濃度のリン酸(0.5 mM 以上)と亜リン酸が共存する条件では、20億匹に1匹の頻度で封じ込めから逃れてリン酸を利用できるエスケープ変異株(灰色微生物)
が出現することが明らかになった。この原因は、亜リン酸輸送体のサブユニットのひとつであるHtxC の 210 番目のフェニルアラニン残基(Phe210)がシステインまたはセリンに変化したものであった(上段図)。HtxC Phe210 をイソロイシンまたはメチオニンに変化させても亜リン酸に対する特異性を維持することが可能であった。そこで Phe210 をコードするコドン UUC を、イソロイシンをコードする AUA、またはメチオニンをコードする AUG に変化させた改良版の亜リン酸依存性株を再構築したところ、エスケープ株の出現は抑制された(下段図)。

図2:HtxC の構造予測モデル
図中予測モデルは Swiss-Model で予測された HtxC の構造で、HtxC は二量体を形成し、細胞膜を貫通して輸送孔を形成する。Phe210(中央丸部分)は輸送孔を形成する中央部分に位置し、基質の認識に関わっていると考えられる。なお、図は HtxC 二量体のみの構造で、亜リン酸輸送体 HtxBCDE は基質結合タンパク質 HtxB, 膜結合タンパク質 HtxC, ATP 結合タンパク質HtxD およびアクセサリータンパク質 HtxE から構成される。

注1) 亜リン酸 
化学式H3PO3で表される+3価の無機リン化合物。自然環境中では検出限界値以下であり、常温常圧では酸化されやすくリン酸となる。農作物の生育助剤などに用いられることもあり、急性毒性などは確認されていない。 

注2) 生物学的封じ込め 
遺伝子組換え生物が環境中に拡散することを防止するために採られる手法のひとつ。特定の栄養源に依存する性質を遺伝的に与え、その物質が得られないと増殖できないようにする受動的な封じ込め手法や、特定の条件になると毒素を作り出し死滅するような能動的な封じ込め手法がある。組換え体を物理的に容器や設備内に閉じ込める物理的封じ込めとともに、安全性を確保するための手段として用いられる。 

注3) エスケープ(逃避)変異株 
生物学的封じ込めから逃れる変異株のこと。微生物(バクテリア)は世代時間が短く、高等生物に比べると変異株の出現確率が高くなりやすい。米国 NIH が定める実験室レベルの認定宿主(安全性が確認されている宿主)が満たすべき基準として 10-8(一億匹のうち一匹)という数値が定
められている。 

注 4)コドン 
 核酸の塩基配列が、タンパク質を構成するアミノ酸配列へと生体内で翻訳されるときの、各アミノ酸に対応する 3 つの塩基配列のこと。  

論文情報

  • 掲載雑誌:ACS Synthetic Biology 
  • DOI番号:10.1021/acssynbio.2c00296
  • “Gatekeeper residue replacement in a phosphite transporter enhances mutational robustness of biocontainment strategy” (亜リン酸輸送体ゲートキーパー塩基の置換による生物学的封じ込め技術の変異耐性強化) 
  • 著者名: 著者:Ryuichi Hirota1,*, Zen-ichiro Katsuura, Naoki Momokawa, Hiroki Murakami1, Satoru Watanabe2, Takenori Ishida1, Takeshi Ikeda, Hisakage Funabashi, Akio Kuroda
     1:広島大学大学院統合生命科学研究科 
     2:東京農業大学生命科学部バイオサイエンス学科 
     *:責任著者
【お問い合わせ先】

<研究に関すること> 
廣田 隆一(ヒロタ リュウイチ) 
広島大学 大学院統合生命科学研究科 准教授 
〒739-8530 広島県東広島市鏡山1-3-1 
Tel:082-424-7749 Fax:082-424-7047 
E-mail:hirota*hiroshima-u.ac.jp

渡辺 智(ワタナベ サトル) 
東京農業大学生命科学部バイオサイエンス学科 准教授 
〒156-8502 東京都世田谷区桜丘1-1-1 
Tel:03-5477-2375 
E-mail:s3watana*nodai.ac.jp

<報道に関すること> 
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東京農業大学企画広報室 
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(注: *は半角@に置き換えてください)


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