大学院先進理工系科学研究科 教授 吉田 拡人
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E-mail:yhiroto*hiroshima-u.ac.jp
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本研究成果のポイント
- ホウ素部位の電子的特徴(ルイス酸性1)と立体的特徴を数値化し、その値が末端アルキン2の銅触媒3ヒドロウ素化反応4の内部選択性5と密接に相関することを明らかにした。
- 「ホウ素部位のルイス酸性抑制」「配位子6の立体的嵩高さ」に加え「ホウ素部位の立体的コンパクトさ」が内部選択性発現における重要因子であることを明らかにした。
- 入手容易で取り扱いやすいホウ素化試薬7を用いて、多様な末端アルキンの内部炭素にホウ素を導入することに成功。これにより、医薬品(例えばリンパ腫治療薬)や有機材料開発の研究の促進が期待される。
概要
広島大学大学院先進理工系科学研究科の吉田拡人教授を中心とした研究チームは、理論計算に基づきコンピュータ上で7種類のホウ素部位の「ルイス酸性」と「立体的特徴」の数値化を達成しました。デジタルデータ化されたホウ素部位の化学的物性を元に、入手容易で取り扱いやすいホウ素化試薬の中に「ルイス酸性が抑制されたジボロン」があること、およびそのジボロン8を用いた末端アルキンのヒドロホウ素化反応が内部選択的に進行することを明らかにしました。さらにホウ素部位の「ルイス酸性」だけではなく「立体的特徴」も位置選択性と密接に相関することを明らかにしました。本研究成果は、一般的ホウ素導入反応の逆マルコフニコフ則9(末端選択性)を逆転させる制御因子を、理論計算を駆使し突き留めた画期的な研究といえます。化学的物性のデジタルデータを反応開発の指針とする本手法は、他の新反応開発への応用も期待され、生活を豊かにする有機材料や機能性分子、医薬品の新しい合成ルートの発見などに貢献することが期待されます。
本研究成果は、米国化学会「ACS Catalysis」オンライン版に8月8日に掲載されました。
発表論文
- 掲載雑誌:ACS Catalysis
- 論文題目:Modulation of Lewis Acidity and Steric Parameters in Cyclic Boronates: Copper-Catalyzed Internal-Selective Borylation of Challenging Terminal Alkynes
- 著者:Takumi Tsushima, Masaaki Nakamoto, and Hiroto Yoshida*
*Corresponding author(責任著者) - DOI:10.1021/acscatal.4c04451
背景
2010年にノーベル化学賞を受賞した鈴木-宮浦クロスカップリング反応10によって、「炭素-ホウ素結合」を足掛かりに有機骨格構築に最も重要な「炭素-炭素結合」を簡便に形成可能となりました。これにより、有機ホウ素化合物は有機材料、農薬、医薬品の製造に不可欠な合成中間体となりました。有機ホウ素化合物の代表的な合成手法の1つは、ボラン[BH3]を用いた末端アルキンのヒドロホウ素化反応です(図1a)。この反応は、ホウ素のルイス酸性に起因する逆マルコフニコフ則により支配され、三重結合の末端炭素にホウ素が導入される末端選択性で進むため、直鎖型ホウ素置換アルケンは容易に合成することができます。ヒドロホウ素化は大学有機化学の初歩で取り扱われるほど基本的な反応ですが、BH3は高い反応性ゆえに不活性ガス下および禁水条件での取り扱いが必要なホウ素化試薬であり、近年では、空気中で取り扱えるほど安定なホウ素化試薬であるビス(ピナコラート)ジボロン[(pin)B–B(pin)]を用いた末端アルキンの銅触媒ホウ素化反応が盛んに研究されています(図1b)。しかしながら、これまでに報告されたほとんどの銅触媒ホウ素化も末端選択性で進行するため、一般的な選択性を覆し内部炭素へホウ素を導入することは現代有機化学における挑戦的課題でした。
この中、本研究グループは「ルイス酸性を抑制したホウ素部位」を有する非対称ジボロンと「立体的に嵩高い配位子を持つ銅触媒」を用いることで、末端アルキンの内部選択的ヒドロホウ素化を達成しています(図1c)(Yoshida, ACS Catal. 2021, 11, 14381)。この研究成果により、内部選択性を発現させる重要な制御因子が「①ホウ素部位のルイス酸性抑制」と「②配位子の立体的嵩高さ」であることが明らかになりました。一方で、必要な非対称ジボロンは(pin)B–B(pin)から別途合成しなければならないため、入手容易性の高いホウ素化試薬を用いる新しい内部選択的ヒドロホウ素化反応の開発が求められていました。
図1. 様々なホウ素化試薬を用いた末端アルキンのヒドロホウ素化反応
図2. 7種類のホウ素部位の「ルイス酸性」と「立体的特徴」の数値化
研究成果の内容
本研究グループは、まずホウ素化試薬の理解を深めるため、7種類のホウ素部位の化学的物性の数値化に取り組みました。理論計算に基づいた化学的物性の定量化手法であるAA(ammonia affinity)11と%Vbur(percent buried volume)12を利用することで、ホウ素部位の「ルイス酸性」と「立体的特徴」の数値化に成功しました(図2)。AAおよび%Vburの値は、類似したホウ素部位間の微細な構造の違いを精緻に反映し、対象とした7種類のホウ素部位の化学的物性の違いをビジュアル化できました。特に我々は、五員環構造を有するものと比べて、六員環構造を有するホウ素部位のAAの値が小さいこと、すなわち六員環ホウ素部位[B(hex)、B(dmpd)、B(neop)]のルイス酸性が抑制されていることに着目しました。内部選択性制御因子①を踏まえると、六員環構造を有するジボロンが銅触媒ヒドロホウ素化反応で内部選択性を発現する潜在性を持つホウ素化試薬であることを示唆しています。
図3. 銅触媒ヒドロホウ素化の位置選択性とホウ素化試薬の化学的物性
次に、AAからルイス酸性を可視化したホウ素部位から成るジボロン[(pin)B–B(pin)、(hex)B–B(hex)、(dmpd)B–B(dmpd)、(neop)B–B(neop)]を用いて、末端アルキンのヒドロホウ素化反応を検討しました(図3)。(pin)B–B(pin)では、その高いルイス酸性を反映して一般的な末端選択性を示したのに対し、ルイス酸性が抑制された六員環ジボロンでは、反応は期待通り内部選択的に進行しました。これら六員環ジボロンは安価で販売されているホウ素化試薬です。とりわけ(hex)B–B(hex)が効果的で、末端アルキンの中でも特に内部選択性を発現するのが困難であったものからも分岐型ホウ素置換アルケンの合成を可能としました。
さらに研究を進める中で、B(pin)部位に比べて%Vburの値が小さいコンパクトな五員環ホウ素部位から成るジボロン[(but)B–B(but)、(prop)B–B(prop)、(eg)B–B(eg)]をヒドロホウ素化に使用すると、そのルイス酸性はB(pin)よりも高いにもかかわらず内部選択性が発現する興味深い結果が得られました。内部選択性を制御する新たな因子として「③ホウ素部位の立体的コンパクトさ」が機能することを示す結果です。
今後の展開
従来、感覚的にしか捉えることのできなかった化学的物性のデジタルデータ化を達成し、実際の反応選択性との相関を明らかにした本研究は、ホウ素化試薬・それを用いる反応とAIとの親和性を向上させた研究ともいえます。今後、ホウ素化試薬だけでなく様々な反応試薬の化学的物性をAIに入力することで、コンピュータ上のシミュレーションによる新しい反応の開発や反応制御因子の解明への展開が見込まれます。また、本反応により多彩な分岐型アルケンが簡便に合成可能になったことから、新薬や有機材料開発の研究も促進されることが期待されます。
用語解説
1. ルイス酸性:ルイスによる酸の定義であり、電子対を受け取る性質を指す。
2. 末端アルキン:有機骨格の末端に三重結合を持つ有機化合物。
3. 触媒:化学反応において、それ自身は変化しないが、反応速度を変化させる物質。
4. ヒドロホウ素化反応:多重結合に対して「炭素–ホウ素結合」と「炭素–水素結合」を同時に形成する反応。
5. 内部選択性:末端アルキンの内部炭素への反応選択性。
6. 配位子:金属に配位し触媒活性などを制御する化合物。
7. ホウ素化試薬:任意の有機化合物にホウ素を導入するための試薬。ボランやジボロンを含む。
8. ジボロン:ホウ素-ホウ素結合を有した有機化合物。
9. 逆マルコフニコフ則:多重結合へのホウ素導入反応の一般則であり、置換基の少ない炭素(末端アルキンでは末端炭素)にホウ素が付加する。
10. 鈴木-宮浦クロスカップリング反応: パラジウム触媒存在下「炭素-ホウ素結合」と「炭素-ハロゲン結合」を選択的に反応させ「炭素-炭素結合」を形成する反応。
11. AA(ammonia affinity):化合物のルイス酸性の定量化手法の一つ。
12. %Vbur(percent buried volume):任意金属を中心とする化合物の嵩高さの定量化手法の一つ。