概要
京都大学大学院理学研究科の堀文哉 博士課程学生(現:東北大学大学院理学研究科 助教)、松平広康 博士課程学生、北川俊作 同准教授、石田憲二 同教授、広島大学大学院先進理工系科学研究科の鈴木大斗 博士課程学生、鬼丸孝博 同教授の研究グループは、近年提案された異方的量子スピンジグザグ鎖モデルの予測を実験的に実証しました。
固体物理の分野では、通常の磁性体では見られない秩序状態や準粒子1の研究が注目されています。以前、同研究のグループは希土類のイッテルビウム(Yb)原子がジグザグ鎖を形成する磁性半導体YbCuS2において、格子間隔と非整合な周期をもつ磁気秩序(非整合磁気秩序)と電気的中性な準粒子を発見しました。この現象を説明する新たな理論モデルとして、異方的量子スピンジグザグ鎖モデルが提案され、いくつかの予測がなされていました。
本研究ではYbCuS2において、高圧下で銅(Cu)核の核四重極共鳴(NQR)測定2を行いました。その結果、上記の理論モデルの予測と一致する基底状態の変化が観測されました。この高圧下での磁気状態は「奇パリティ磁気多極子秩序3」と呼ばれる特殊な状態です。さらに、以前発見した中性準粒子を圧力で制御できることが分かりました。これらの成果は、理論モデルの妥当性を深めるだけでなく、スピントロニクス、マルチフェロイクス4材料や量子コンピュータといった次世代デバイスへの応用が期待されます。
この成果は2025年8月1日付けの学術誌「Communications Materials」電子版に掲載されました。
背景
モーターやスピーカー、ハードディスクなどの我々の身の回りの至る所で使用されている永久磁石は、現代社会を支える必要不可欠な機能性材料の1つです。このような永久磁石の性質は、電子がもつミクロな角運動量(スピン)が互いに相互作用して全て同じ方向に揃う強磁性秩序によって成り立っています。また、隣り合うスピンがそれぞれ反対方向を向いて整列した磁性体は反強磁性体と呼ばれ、次世代のスピントロニクス素子として期待されています。近年の固体物理学では、こうした典型的な磁性体では見られないような秩序状態や準粒子の研究が注目されています。特に、4d、5d、4f電子を持つ重い元素で構成された物質中では、スピン間の相互作用に大きな異方性が生じます。このような物質で最近、スピンが相互作用しているにもかからず磁性が消失する秩序状態や液体状態、電気的に中性な準粒子など、既存の理論モデルでは説明し難い現象が次々と観測されています。これらの現象を解明することは、基礎研究として重要であり、さらにスピンエレクトロニクス素子や量子コンピュータなど次世代デバイス技術の応用に向けた物質の新機能の発見に寄与する可能性も秘めています。
以前、同研究グループは4f電子を持つ希土類のYb原子がジグザグ鎖を形成する磁性半導体YbCuS2においてNQR測定を行い、非整合周期を持つ磁気秩序と電気的中性な準粒子を発見しました。これらは従来型の相互作用を持つジグザグ鎖スピン理論モデルでは説明できない現象です。最近の東京大学の堀田知佐教授グループの理論研究により、Ybに起因する異方的な相互作用が物質中のスピンの向きを特定の面間で量子力学的に揺らがせ、”ネマティック粒子”と呼ばれる創発準粒子が出現することで、我々の実験結果を説明できるという可能性が提案されました[1]。さらに、この「異方的量子スピンジグザグ鎖モデル」では、スピン間相互作用のパラメータ変化により、さまざまな状態への遷移や、それらが激しく競い合う”量子リフシッツ多重臨界点”などエキゾチックな現象が多く予測されています。これらの理論予測の実験的検証は、理論モデルの妥当性を確認する上で重要です。
研究手法・成果
京都大学のグループは、上述の異方的量子スピンジグザグ鎖モデルの予測を実験的に実証すべく、YbCuS2に対して1.6万気圧という高圧を印加し、スピン間相互作用を操作した状態で銅(Cu)核のNQR測定を行いました。その結果、1気圧下で観測された非整合な螺旋磁気秩序が、1.6万気圧下では整合周期を持つ別の磁気秩序に変化することを発見しました(図1)。この圧力による秩序状態変化は、理論モデルで予測された相互作用変化による状態遷移とよく一致しており、理論との整合性が確認されました。また、この高圧下の状態は「奇パリティ磁気多極子秩序」と呼ばれる特異な状態であり、電気磁気効果5や非相反伝導6といった新たな物質機能性の実現が期待されています。
さらに、高圧による秩序状態変化に伴い、中性準粒子の存在を示唆する核スピン格子緩和率7の減少が観測されました。これは、スピン間相互作用を操作することで、秩序状態への転移温度が変化し、中性準粒子の量を制御できることを示唆する興味深い結果です。
波及効果、今後の予定
本成果は、提案された理論モデルを実証するとともに、YbCuS2における新奇な性質を明らかにし、新たな物質機能性の可能性を切り拓くものとなりました。今後、さらに高圧下での測定や、他の関連物質での検証を通じて、理論モデルの普遍性を検証していく予定です。
研究プロジェクトについて
本研究は、日本学術振興会 科学研究費補助金(課題番号:JP20KK0061, JP20H00130, JP21K18600, JP22H04933, JP22H01168, JP23H01124, JP23K22439, JP23K25821, JP23H04866, JP23H04870, JP23KJ1247, JP24K00574)および科学技術振興機構JST SPRING(課題番号:JPMJSP2110)、京都大学教育研究振興財団、京都大学研究開発推進プログラムISHIZUE 2024、村田学術振興・教育財団、湯川記念財団「望月基金」の支援を受けて行われました。また、寒剤(液体ヘリウム、液体窒素)の使用に関して、京都大学環境安全保健機構 低温物質管理部門の大きな支援を受けて実施されました。
[1] H. Saito and C. Hotta, Phys. Rev. Lett. 132, 166701 (2024). H. Saito and C. Hotta, Phys. Rev. B 110, 024409 (2024).
図1: YbCuS2の圧力による状態変化と理論予測[1]との比較。1気圧下で見られた非整合な螺旋磁気秩序が、1.6万気圧下では整合周期を持つ別の磁気秩序に変化する。この高圧下の状態は「奇パリティ磁気多極子秩序状態」と呼ばれる特異な秩序状態である。赤矢印はYbのスピン(角運動量)の向きを表す。
用語解説
1 準粒子: 素粒子ではないが、物質中で現象や振る舞いを表現するために導入される仮想的な粒子。物質が示す最もエネルギーが低い状態(基底状態)から少しエネルギーを与えた状態(励起状態)は、ほとんど相互作用のない準粒子が付け加えられた状態としてみなすことができる。
2 核四重極共鳴(NQR)測定: 原子核の性質を使って、電子の状態を調べる測定方法。原子核をプローブとして電子状態を乱さずに局所磁場や低エネルギーのスピンゆらぎを観測できる。
3 奇パリティ磁気多極子秩序: 3次元の空間座標(x, y, z)を(x, y, z)に変換する操作を行ったときに元の状態から変わることを「空間反転対称性が破れている」という。また、スピン(角運動量)を反転したときに元の状態から変わることを「時間反転対称性が破れている」という。「奇パリティ磁気多極子秩序」は空間反転対称性と時間反転対称性の両方が破れた特殊な秩序状態のことを指す。
4 スピントロニクス、マルチフェロイクス: 半導体において電子が持つ電荷の流れを制御してさまざまな機能を引き出す技術をエレクトロニクスと呼び、磁気をもたらすスピンの性質も利用するエレクトロニクスの分野を「スピントロニクス」と呼ぶ。さらに、強誘電性(電気分極)と強磁性(磁石の性質)など、複数の秩序状態が一つの材料中で共存し、互いに強く結びついている特殊な状態を利用する分野を「マルチフェロイクス」と呼ぶ。
5 電気磁気効果: 一般に、物質の電気分極は電場を加えることで誘起されるが、磁場によって誘起される場合もある。逆に、磁化が電場によって誘起される場合もある。このような現象は「電気磁気効果」と呼ばれ、新たな動作原理に基づく記録媒体やスイッチング素子への応用が期待されている。
6 非相反伝導: 入力信号の方向に応じて、物質の応答が異なるという特徴を非相反性と呼ぶ。特に、電気抵抗や熱伝導における非相反性は「非相反伝導」と呼ばれる。
7 核スピン格子緩和率: スピンのゆらぎなどの動的な情報をあらわす量であり、低温での温度依存性から低エネルギー励起や準粒子の性質を調べることができる。
論文情報
【掲載誌】Communications Materials
【論文タイトル】Pressure Evolution of Magnetic Structure and Quasiparticle Excitations in Anisotropic Frustrated Zigzag Chains(異方性フラストレートジグザグ鎖における磁気構造と準粒子励起の圧力変化)
【著者】Fumiya Hori, Hiroyasu Matsudaira, Shunsaku Kitagawa, Kenji Ishida, Hiroto Suzuki, Takahiro Onimaru
【DOI】 https://doi.org/10.1038/s43246-025-00888-y
【お問い合わせ先】
<研究に関すること>
堀文哉(ほりふみや)
東北大学大学院理学研究科 物理学専攻 巨視的量子物性研究室 助教
E-mail:fumiya.hori.b5*tohoku.ac.jp
石田憲二(いしだけんじ)
京都大学大学院理学研究科 物理学第一教室 固体量子物性研究室 教授
E-mail:kishida*scphys.kyoto-u.ac.jp
鬼丸孝博(おにまるたかひろ)
広島大学大学院先進理工系科学研究科 量子物質科学プログラム 教授
E-mail:onimaru*hiroshima-u.ac.jp
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