12/14(火)、「日本の名城 ~古建築の秘密と魅力」と題して文学研究科三浦正幸教授による講演を開催しました。
講演は戦災前の広島城の説明を中心に進められ、まず広島城の天守は極めて特異なものであるという説明から始まりました。
当時築城技術は秘密ではなかったにも関わらず、広島城は我流で築城されており、例えば三階以上には2メートル程度の高さ
の床下があり、これは他の城にはない唯一のもので、不動院楼門の社寺建築を参考にしたものと考えられるとの説明がありま
した。ただし、これにより床の位置が高くなったため、他の城と違い、窓に手が届いたとのことでした。
また、他の城の築城技術を取り入れようとしなかったのは、当時の毛利輝元が他の城主に頭を下げて築城法の教えを請うのを
嫌がっていたからであろうと考えられるとの説明もありました。
さらに、広島城は毛利家の権威を高めるため、外観は最高格式と言える高級な建築様式であったが、内部は質素・粗雑で費用
をかけていない合理的なものだったといえるとのことでした。
その他の城についても次のような説明もありました。
■安土城:瓦屋根の家は僧が住むものという伝統的な考え方を織田信長が破って初めて建築した瓦屋根の天守であった。
■姫路城:現在は世界遺産となったが、実は場当たり的に作られたと考えられる。
■名古屋城:大坂城と同じように建築されているが、これは豊臣家の権威を継承しつつ権力をも引き継ぐという徳川家康の極めて
賢いやり方を表していると言える。
■江戸城:極めて計画的な建築であるが、あまりにも優等生過ぎるため面白味がない。
講演後、活発な質疑応答があり、「天守には何人ぐらいが住んでいたのか」との質問には「過去に住んでいたのは織田信長だけで
それも時々のことであった。他の城主は天守閣のように一階から火が出たら逃げられず、屋内も暗く、階段の多いこのような住環
境の悪い建物には住まず別の御殿に住んでいた。人が出入りするのも掃除などの維持管理の時くらいであった。戦で籠城するとき
には人が入ったが、その収容人数は名古屋城で約二千人、広島城で八百から千人くらいであった。」との説明がありました。
参加者は戦国時代の武将の人柄なども交えた三浦教授の具体的で分かりやすい説明に興味深く聞き入り、帰り際にまた企画して
ほしいとの声もありました。
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