本研究成果のポイント
- エビ類が成長したり卵を産むときに働くとされる「眼柄ホルモン」に注目し、その中から血糖値を調節する働きをもつホルモンを見つけました。
- サクラエビを含むエビの仲間(十脚目甲殻類=エビやカニなど)には、予想以上に多くの眼柄ホルモンを有していることも分かりました。
- 今後、他の眼柄ホルモンの研究を進めることで、サクラエビの繁殖メカニズムの理解が深まり、卵を安定的に採取する技術の開発と、持続的な資源量の確保が期待できます。
概要
広島大学大学院統合生命科学研究科の豊田賢治助教、一般財団法人マリンオープンイノベーション機構の齋藤禎一上席主幹研究員、帝京大学宇都宮キャンパスリベラルアーツセンターの片山秀和教授、神奈川大学の大平剛教授らによる共同研究グループは、サクラエビ(Lucensosergia lucens)の血糖値調節因子(※1)を発見しました。
サクラエビ(図1)は体長約4~5cmの遊泳性の小型エビで、昼間は水深200~350mに生息しており、夕方以降に水深20~60m付近まで浮上します。国内では主に静岡県の駿河湾で商業的に漁獲されています。駿河湾では2018年から2022年にかけてサクラエビの記録的な不漁が続いていましたが、2023年以降は漁獲量に回復の兆しが見えています。今後、サクラエビの資源量を持続していくためには漁業者による漁獲量制限だけではなく、卵から稚エビまで育てて海に放流する種苗放流事業の効率化も求められます。しかし、サクラエビの安定した種苗放流事業の運用には効率的な採卵技術が必須ですが、サクラエビの繁殖に関する研究はほとんど行われていませんでした。
そこで本研究では、エビやカニの仲間に共通して繁殖に関わるホルモンに注目してサクラエビの繁殖のしくみについて研究しました。エビの仲間で、ホルモンが働く中心となるのは、眼を支える根元の中にある組織です。この部分にあるサイナス腺(※2)という組織では、繁殖や成長、体色調節などに関わる多種多様なホルモン(眼柄ホルモン)が合成・分泌されています。サクラエビの眼柄ホルモンについては先行研究が全くありませんでしたので、まずはサイナス腺中で最も多く見つかった眼柄ホルモンに着目し、その単離精製(純度を高める作業)を試みました。その結果、エビやカニの血糖値を調整している甲殻類血糖上昇ホルモン(crustacean hyperglycemic hormone: LlucCHH1)を抽出することに成功しました。さらに、サクラエビに近い種であるクルマエビを用いて、このLlucCHH1が血糖上昇作用を有することを明らかにしました。
本成果はサクラエビの眼柄ホルモンが従来の研究手法、すなわちホルモンの精製や作用確認などの手法を用いて解析可能であることに加え、深海性のため生体を扱うのが難しいサクラエビに代わり入手・飼育が容易な近い種であるクルマエビでサクラエビ眼柄ホルモンの機能を明らかにできることを示しています。
また、眼柄(眼の付け根の部分)における遺伝子の働きを解析した結果、サクラエビはバナメイエビやクルマエビなどとは異なるホルモンであるCHHペプチド(※3)を持っていることが明らかとなりました。今後、サクラエビにおいてLlucCHH1以外の眼柄ホルモンの研究が進むことで本種の繁殖のしくみがさらに解明され、効率的な採卵技術の確立に貢献できると考えられます。
本研究成果は,2025年4月16日に国際学術誌『Fisheries Science』のオンライン版に掲載されました。また、本研究は広島大学から論文掲載料の助成を受けました。
背景
サクラエビを含む十脚目甲殻類(エビ・カニの仲間)は一般に飛び出た複眼(※4)を持っています。その根元にX器官やサイナス腺という組織を持っており、これらはホルモンを作り、分泌する役割を担っています。この眼柄ホルモンは繁殖や成長、体色調節など甲殻類の生存や繁殖に重要な役割を持っており、クルマエビやイセエビをはじめとした国内外の水産重要種で古くから研究が進められていました。しかし、生息水深が200~350mのサクラエビでは眼柄ホルモンの研究は全く行われておらず、その繁殖のしくみは謎に包まれています。そこで本研究では、生きたサクラエビの眼柄からサイナス腺を摘出し、逆相液体クロマトグラフィーとRNA-sequencing技術(※5)によってサクラエビの眼柄ホルモンの解析を行いました。
また、単離精製(純度を高める作業)した眼柄ホルモンの機能を明らかにするためには生きた状態のサクラエビを用いた生体実験が必須です。しかし、生きたサクラエビは、非常に小さく、特定の環境でのみ生息しており、入手や飼育が困難です。代替法としてサクラエビに遺伝子的に非常に近い種で、入手と飼育が容易なクルマエビを用いた生理実験を検討しました。以上のことから、サクラエビの眼柄ホルモンの網羅的解析(※6)に加えて、クルマエビを用いた代替実験法が確立され、サクラエビの眼柄ホルモン研究の基盤構築を目指しました。
本研究の内容
サクラエビの眼の付け根にあるサイナス腺(図2A)から取り出した成分を分析したところ、いくつかのホルモンの候補が見つかりました。本研究では、それらの中で最も大きな反応(赤矢印:図2B)があった成分に着目しました。この成分を取り出して、質量やアミノ酸の並びを調べたところ、ホルモンの性質が分かってきました。さらに、RNA-sequencing分析から、このホルモンの設計図(DNAの塩基配列)も明らかになりました。これらの結果から、このホルモンはエビやカニの仲間に共通する「CHH(血糖値を上げる働きを持つホルモン)」であることが分かり、「サクラエビCHH1(LlucCHH1)」と名づけました。CHHは他の甲殻類では血糖上昇作用が報告されていますので、LlucCHH1にも血糖上昇作用があるのかを調べることにしました。ただし、生きたサクラエビを使うのは難しいため、代わりに近い仲間で飼育がしやすいクルマエビを使って実験しました。
実験では、片方の眼の根元を切り取ったクルマエビを2日間何も食べさせずに飼育すると、血糖値が大きく下がります。この状態のエビに、LlucCHH1を注射したところ、2時間後には血糖値が大きく上がりました。一方、生理食塩水だけを注射したグループでは変化が見られませんでした(図3)。このことからLlucCHH1も他のCHHと同様に血糖上昇作用を有すること、さらにサクラエビの眼柄ホルモンについては、クルマエビを用いて解析可能であることが明らかになりました。
今後の展開
本研究では、LlucCHH1以外にもサクラエビのサイナス腺から全部で7つのCHHファミリーの遺伝子を見つけることができました。この中には卵巣成熟の制御に関わることが知られているCHH分子も含まれており、今後は本研究で培った実験技術をこれら他のCHHファミリー分子の解析にも応用することでサクラエビの繁殖のしくみを明らかにできると考えています。
また、本研究ではサクラエビのCHHファミリーペプチド(血糖調節などに関わるホルモン)の種類は同じ根鰓亜目(※7)に属するバナメイエビやクルマエビなどとは大きく異なることを示すことができました。この結果は、サクラエビ上科(※8)とクルマエビ上科でCHHファミリーによる体の調節のしくみに大きな違いがあることを示唆するものであり、多様な姿を持つ十脚目甲殻類の進化を解明する大きな手がかりとなります。
参考資料
雑誌名:Fisheries Science
タイトル:The hyperglycemic activity of crustacean hyperglycemic hormone in the sakura shrimp Lucensosergia lucens
著者名:Kenji Toyota, Kosuke Goto, Yamato Osugi, Ken‑ichi Kobayashi, Tomokazu Suzuki, Kazutoshi Okamoto, Hidekazu Katayama, Katsuhiko Mineta, Takashi Gojobori, Yoshimoto Saito, Tsuyoshi Ohira.
用語解説
(※1) 血糖値調節因子:
血糖値を適切に調整するために働くホルモなどの小分子。
(※2) サイナス腺:
エビやカニの眼の付け根にある、成長や繁殖などに関わるホルモンを分泌する器官。
(※3) CHHペプチド:
エビやカニの体内で血糖値の調節や成長、繁殖などに関わるホルモンの一種。
(※4) 複眼:
エビや昆虫などに見られる多数の小さなレンズが集まった眼で、広い視野を持つのが特徴。
(※5) RNA-sequencing技術:
細胞内で発現するRNAを高精度で解析し、遺伝子の活動状態を明らかにする手法。
(※6) 網羅的解析:
対象となる情報やデータについて、可能な範囲で網羅的に全てを解析すること。
(※7) 根鰓亜目:
脚の付け根部分にエラを持つことが特徴の甲殻類の分類群で、サクラエビやクルマエビなどがこれに含まれる。
(※8) 上科:
生物分類の一つで、「目」と「科」の間に位置する階級。生物の進化的な関連性を示すために用いられ、似た特徴を持つ種をさらに大きなグループに分ける際に使われる。
参考資料
図1 サクラエビ(写真提供:静岡県水産・海洋技術研究所)
図2 サクラエビの眼柄およびサイナス腺(A)と、サイナス腺抽出物の逆相液体クロマトグラフィーのクロマトグラム(B)
図3 クルマエビを用いたLlucCHH1の血糖上昇作用の検証実験
【お問い合わせ先】
〈研究に関すること〉
広島大学大学院統合生命科学研究科
助教 豊田 賢治
Tel:082-424-7894
E-mail:toyotak@hiroshima-u.ac.jp
一般財団法人マリンオープンイノベーション機構
上席主幹研究員 齋藤 禎一
Tel:054-340-1800
E-mail:y-saito@maoi-i.jp
帝京大学宇都宮キャンパスリベラルアーツセンター
教授 片山 秀和
Tel:028-627-7111
E-mail:katayama.hidekazu.vo@teikyo-u.ac.jp
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